言語の壁

 

お久しぶりです。

インスタのプロフィール欄、鍵垢だから大丈夫と思ってたら、このブログのURLについてはフォロワー外からもアクセスできるみたいでした。

 

仕事関係の、見られちゃいけない様な大多数の人間にブログを読まれてしまい、慌ててアカウントの名前を変更、若干自身が写ってるプロフィール写真も変更、URLの削除といった作業に見舞われたワケですが、なんとか別人のものと誤魔化す事ができました。

というか、もう誤魔化しきれてないけど、否定しまくった結果、相手がもうだるくなって追求するのをやめた。という段階にいます。実質完全勝利と言ったところでしょうか。あとは記憶から薄れて消滅待ちです。

 

少しでも記憶を掘り返す様な輩がいるものなら腹グーパンで真っ先に黙らせてやろうと思っています。パンチ力も上げておきます。

 

自身が撒いた倫理もモラルもなくしたクソの山の様なブログによって、身を滅ぼすところでした。

そしてまた、別アカをブログ用に開設し、さらに鍵垢にすることによって懲りずに無駄な活動を続けているわけです。利益はありません。文を書くのは好きです。

 

 

 

 

さて、この別アカ+鍵垢=誰が書いたブログかわからない。という分厚い仮面を被ったところで、前より一層書いていいこと、ダメなことの規範意識が薄れていっています。ドン引きされる様な中核派的な思想も自由に書くことができます。いっそ国家転覆でも計りましょうか。

 

手始めに書きっぱなしで下書きに保存してた同僚について書きたいと思います。

 

 

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私の同僚にはネパール人の女性がいる。

おおらかで優しい彼女はサビーナ(仮名)という名前だ。サビーナはおそらく40前半くらいで、日本に2年以上住んでいる。2人の小さい子供も、日本で暮らしているらしい。

 

私と同じ職場には外部のアシスタントという立場で別会社から派遣されて来ている。

一緒に仕事をしていて非常に頼れるし、PC作業に長けていると思う。

 

自己紹介の時、I'm Sabina! 今日も寒ィーナ!という持ち前の鉄板ギャグを披露し、爆笑を掻っ攫っていく。冬限定のギャグらしいが、8月に隣でやってるのを見たことがある。全然寒くないし、むしろ今日むっちゃ暑いんですけど、、、、そんな雰囲気も持ち前の明るさで吹き飛ばしていく。ギャグの引き出しは少ないようだ。

 

彼女とはよく話すほうで、いつも会うと「オハヨウゴザイマス」「Good morning イソジマさん」と挨拶してくれる。にっこり笑う彼女に笑顔には優しく包み込むような抱擁力を感じる。

 

一方で、嫌なことや理不尽なことに対してハッキリと表情にだし、「間違ってる」「NO」と言える逞しさも見られる。遠く離れた異国の地で子供2人を一生懸命育てているし、この女性は強いなと思う。1番揉めたくないタイプである。

 

 

日本人は何か断りたい時にやんわり、なるべく相手を傷つけないよう遠回しな表現を用いる。もちろん私もそうだ。相手を不快にさせないよう、限りなく「それなら仕方がない」と思えるような理由を醸成し、精一杯の申し訳なさそうな顔、声、絵文字を利用し伝える。もはや文化と言っても良い。この時に使用する“嘘”はもちろんギルティなのだが、「嘘だと疑われても許される」という前提と「嘘か本当か詮索されない」というプロテクションによって誰もが使いやすくなっている。

そして、伝えられた側もやんわりした断りの雰囲気を素早く感じ取ることができる。

 

「ごめん、今日体調悪くて行けないかも、、🙇‍♂️

めっちゃ行きたかった😭😭」

 

こんな具合である。

 

長くこの文化に浸され続けたワタクシは、たまにあるサビーナの「NO」に面食らうのだ

どストレート直球且つ真顔に面食らって、あたふたする。全て見透かすような瞳から逃れることができない。男前すぎる。

 

 

 

 

 

ある冬の日、サビーナはニコニコしながらラップでグルグルに巻きつけられた小さいタッパーを渡してきた。

 

「This is for you.」

そう言ってデスクにちょこんとそれを置いた。

何か聞いてみると、ネパールの特別な日に食べるデザートらしい。一年に一回、その日しか食べないネパールでは贅沢なデザートだそうだ。わざわざネパールの材料を取り寄せ、現地のままの味で作った。生物だから早めに食べてとのこと。

 

 

私はデザートが好きだ。コンビニに行く時も、スーパーに行く時もよくアイスやスイーツを買って帰る。しかし、海外のお菓子やスイーツに対して、良いイメージがない。チョコもなんだか甘すぎるような気がするし、無駄にカラフルなケーキにも抵抗がある。あとスニッカーズを嬉しそうに食べるヤツと友達になれない。

 

 

アンチスニッカーズの私からしてみれば、サビーナのくれた海外デザートは若干、食べてちゃんと美味しい顔ができるか不安があった。ましてや現地の材料取り寄せたって、、、もうそれネイティブじゃん。ネイティブなデザート。日本で産まれただけであって、soulはネパールにあるよね?

 

 

 

「とっても甘くて美味しいよ」

急かすように囁かれた私は幾重にも巻きつけられたラップのベールを脱がし、パンドラ・ボックスを開封

 

目に入ったのは黒の球体で、ナゾの液体に浸っていた。GANTZ

しかしよくみると黒ではなく、深い赤茶色でボコボコしていた。あーこれアレだわ。ライチだ!

へーライチってネパールの特別な食べ物なんだ〜!

 

「ライチ味ならたくさん食べたことあるけど、フルーツのライチって食べたことないかも!美味しそう!」

 

目の前のGANTZが、果物であることに少し安心した私はそう伝えた。

 

 

 

 

「It's donuts actually 」

 

ドーナツだった。

 

ライチじゃなくて、ドーナツ。オーケー。そしてこの液体は特製シロップ。らしい。

 

 

、、、なるほど。ビショビショのドーナツとはこれが初対面だし、いずれにしても初めての経験だ。そして自信がない。美味そうに食べる自信が。断りたい、、なるべく、食べたくないかも、、そう。出来るだけ傷つけない方法で断りたい。

 

 

性格がハッキリしているサビーナに対して、口が裂けても「GANTZみたいだから要らない」なんて言えない。一生懸命作ってくれたからこそ、それに応えて一生懸命傷優しく断ってあげたい、、。

 

そしてそこに立ちはだかるのは言語という壁。言語というかニュアンス。

この、やんわり、傷つけないように断る。という我が国の美しき文化を彼女は知らない。日本語でも高度なニュアンスを英語で表現し、伝える自信もない。それに加えてこの女性は小細工が通じるような人間でもない。下手を打てば「サイショカラ要ラネエッテ言エヤボケナス」というような直球ストレートの槍がドタマをぶち抜くだろう。

 

同時にそれはコイツを食べる勇気を与えた。

“食べてやるよそれも最高に美味そうによ”

 

 

 

 

サビーナ曰く、レンジでちょっとあたためると美味しいらしい。

私はこのビショビショドーナツを少しでも水分を飛ばし、通常ドーナツに近づけようと、提示された時間+10秒ツマミをまわし、700Wであたため開始。

 

窓越しから見た回転する球体は、ジュワジュワ音を立て、暖かい甘い匂いを発していた。

「ちょっと美味しそうに見えてきたかも」

 

 

 

 

しかし、チーン♪という音とほぼ同時にドーナツが爆発。

 

 

中には空のカップが中央に鎮座し、粉々に飛び散ったドーナツがレンジの壁にめちゃくちゃ張り付いている。

 

 

 

隣で黙って見つめるサビーナを横目に、慌てふためいた私は飛び散ったドーナツのカケラの中でも比較的大きいものを選択し、口へ運んだ。

 

その瞬間には、海外のお菓子がどうとか、スニッカーズがどうとか、苦手意識なんてものはとっくに置き去りにされて、「なんでコイツ言った時間より多くチンしてるの?」「わざと爆発させた?」みたいな疑念を払拭しようと必死だった。

 

推定100万℃の激アツドーナツを口に入れ、想像以上に熱かったのと、どうにか「爆発したとしても美味い」「これまで食べた何よりも美味い」という気持ちが伝わってほしい勢いで、目をガチガチにかっぴらいて「うんんンマあああい!!!」と言って見せた。実際にも美味しかったと思う。

 

 

 

 

 

 

直後、サビーナは一言だけ「汚いから、やめな」と言って布巾を手に取りレンジの清掃を始めた。

 

 

 

、、、アレ?思っていた反応と違う。「また作るから、心配しないで」とか「ahaha!あっためすぎだよ〜もう!」みたいなセリフ、まだですか?

 

もしかして、さっきの「うんんンマあああい!!!」が、“美味い”を強調するあまり

“美味い”に聞こえず、狂気の咆哮となってしまったのか、、?

 

この誤解を解くにも、どこから弁明して良いのか、、、、やばいヤツだと思われてるよね?あぁどうしよう、、、、頭が真っ白になって話しかけることもできなかった。

 

 

  

 

 

常識的で頭の良い人ほど、精神の錯乱したクレイジーを相手にする際の “精神的コスト” や “時間的コスト” を正しく算出することが出来る。それがバカにならないことを、知っている

 

 

キチガイから害を被ったとしても、彼らに償わせるよう働きかけるより無視したり放置したりする方がトータルでの効用が高いという判断になるのだ。

 

程度の差はあれど、“常識的であること” と “個人の得” とがトレードオフの関係になってしまうということは、多いにありえる。良くも悪くも、そこに歪が存在している。

 

 

 

図らずとも悲しきクレイジーモンスターになってしまった私は、後日、サビーナに謝罪をした。この前の私は怖かったらしい。突然大きな声を出したから、びっくりしたとのこと。

 

 

そのタイミングで、彼女から依頼を受けた。

明日急遽子供の病院に行かなければいけなくて、会社に欠勤すると伝えたいが、今日は英語を話せるスタッフがいないらしく、困ってる。だそうだ

 

サビーナは少し日本語が拙い部分がある。当たり前だが、電話越しの早い日本語が聞き取れないらしい。

「もちろん私に任せなさい」

ドーナツの件を償うように喜んで引き受けた。

 

向こうの会社から、1時間後に折り返しがくるみたいで、彼女は子供のお迎えがあるので先に帰宅。

 

 

 

1時間半後、時刻は18時を迎えていた。

待てども待てども電話がかかってこない。

こちらからかけるようと思ったが、しまった番号を聞いていない!

 

そうして待つこと2時間半が経過した。ちなみに定時は16:30だ。おれは当然ブチギレている。時刻は20時に差し掛かろうとしていた。おれの家に帰ってからのゴロゴロニャンニャンタイムが刻々と蝕まれていく。担当者、覚悟しろよ。

 

 

やっとのところで、事務室から外部会社の電話番号を発見した。もっと早く探せばよかったが、関係ねぇ、アイツらが悪い。

 

憤慨の頂点を迎えた私は乱暴に受話器を取り、乱暴に番号を乱打する。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ただいま、回線が大変混み合っており…」

 

 

ブッ殺してやると意気込んで電話をかけた矢先これだ。問い合わせ窓口に電話をするとありがちな、あの「ただいま、回線が大変混み合っております。そのままお待ち頂くか、少し時間を置いてからおかけ直し下さい」地獄。トゥーントゥルルルル〜んみたいなBGM、、クソが、、ナメてるのか?

 

あの時、ちょっと追加であっためようと、10秒多くチンしたツケが、3時間の残業となっておれに降りかかっている。決めた。やっぱりブチ殺す。

 

 

 

私は温厚な人間だ。自分でも自負しているし、よく知人からも優しいと言われる。つまり温厚な人間である。むやみに人をぶっ殺したり、やっぱりぶっ殺すのはやめて、ブチ殺す。と思うことは少ない。そんなおれが、ブチギレている。その辺をどうしても担当者に理解させたい。

 

 

 

少し時間をおいてからお掛け直しください?

お掛け直すワケねえだろボケこらあ!このままテメエが出るまでぜってえまってやるからな!

 

 

2分も待たないうちに、女性が出た。

非常にクリアなボイスで、美しい声。これまで声だけで魅力を感じることはなかったが、可愛い良い人だと確信。事の経緯を説明し、非常に丁寧な謝罪があった。

 

 

 

「大変お待たせして申し訳ございません」

 

 

 

 

 

 

 

「....全然待ってないっすよ」

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、なんとかサビーナに自分が精神の錯乱したクレイジーだという誤解を解くことが出来たワケですが、ランチタイムにサビーナがあのタッパーを取り出す度に狂気の咆哮を思い出すんです。

 

そしてひょっとするとサビーナも思い出してるんじゃないかと思うと、とっても気まずいんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

磯島

 

振る舞いとは

 

 

本当に申し訳ないのですが、このブログ下ネタが多い。なんかそのつもりはないんですけど、今回もほんとすいません。

 

 

 

 

 

 

3年ほど前。前職を半ば険悪ムード退職したのち、転職するまでの間を大学生時代のバイト先にお世話になった。当時の一個下の後輩が店長をやっているフランチャイズのお店で、少し歳の離れたワタクシをアルバイトの子たちは暖かく迎え入れてくれた。

 

高校の卒業を控えたJKの残党、昔から知ってるメンバー、出身大学の後輩など、様々な人が集まる中にヤツはいた。

 

 

 

彼は「エイシ」と呼ばれていた。

 

エイシは同じ大学出身であるものの、初対面だった。しかし共通の知り合いがいたり、趣味が合ったりと、すぐ打ち解けた。

彼を一言で表すなら狂犬だろう。

酒を飲んだ日は、インスタストーリーは混沌そのものだ。周りの全ての生物と明日の自分に迷惑を振り撒くバイオテロリストと化す。

しかしながら「おふざけ」にはキラリと光るセンスを感じ、彼の周りから人が離れない、むしろ増え続ける所以はそこなんだろうなと思う。

 

そこらじゅうに火を着けてまわる放火魔みたいな彼だが、消防士を目指していた。が、残念なことに試験では落ちてしまった。採用担当は全く無能だ。コイツを放置したら、仕事が増える

 

翌年、エイシは警察官になった。神はどこまで残酷なのだろう、こんなやつに逮捕されたら恥ずかしくて刑務所から出れない。シャバが一瞬でアナザースカイと変わる

 

 

 

「エイシが警察!?どっちかというとお世話になる方だろw」

こんなセリフをきっと友達や先輩、家族にでさえ言われているだろう。知らんけど

 

 

 

しかしひたむきに勉強する彼を見ているし、留学の貯金とか、自分で決めたことをやり切るスゴイとこは知ってる。そういうとこが試験で認められた、なるべくして警察になったと思う。尊敬している。

 

 

「りおさんが生徒に手出して捕まったら、見逃してあげますよ」

エイシは得意げに言ってくれた。ありがとう。

 

 

 

そんなエイシとサシ飲みをすることとなった。

ていうか、一緒におっパブに行こうという話になった。そこそこ詳しい彼によると、千葉のRioというお店が良いらしい。ちょうど名前も被ってるし、行くか

 

駅周りの磯丸で昼間軽く飲んでから行きましょうということで、そそくさとハッピアワーで乾杯した。

 

良い気分だった。昼間から飲むのってなんでこう気持ちがいいのだろうな、平日なら尚更酒が美味い。

 

酒も進んで盛り上がってきたところで、ふと疑問が浮かんだ。

 

 

 

 

「てか、おっパブって結局なんなん?」

 

 

 

話には聞くものの、何をどうするのか、何がどうされてどんなイイコトがあるのかよくわかっていなかった。色々な種類のそーいうお店があるのは知っている、なんならピンサロくらいは経験がある。

 

でもおっパブだけは機会がなかった。

名前から想像するに、おっぱいが関連しているサービスであるということは明確だろう。

正直もうそれがわかれば良いと思ってよく理解してなかったけど、結局なんなんですか?

 

おっパブの「お」は多分おっぱいの「お」だが、「パ」がやや理解を妨げている。おっぱいの「ぱ」ならカタカナにする意図が不明なので、おそらく「パブ」というひとまとまりの単語と推定できる。つまり、おっぱいのパブ?あのPub??

 

 

 

よくわからないが、おっぱいの何かなのだろう。

きっとおっぱいをどうにかしながら酒を飲む感じのヤツだろう。

 

 

 

私にとっておっパブというのは、あくまで抽象的な概念だったのだ

「おっパイ的である」「おっパイ性が高い」「おっパイ味溢れる」というのが具体的にどのような状況を指すのか。それは全くイメージが出来ていなかった。

 

 

磯丸でひとしきり飲んだ後に、今日こそは本当におっパブに行ってやると盛り上がり、栄町をグルグル回った。お酒が判断を鈍らせるのではない。男性ホルモンが脳にエンドルフィンを分泌しているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、どれだけ歩いてもお店が見当たらない。エイシはあれ?あれれ?と慌てふためいている。まあ落ち着けよ。先輩といえど、そんなお店が見つからず段取りが悪いなんてことで噛みつきやしないさ。

 

google mapでは完全に現在地を指していた。ここに店があるはずだし、雰囲気もそんな感じだ。

 

目当ての店が見つからず、ウロウロし過ぎて、同じキャッチのニイチャンに何度も声かけられた。もう気まずくて我々は意を決してキャッチの兄ちゃんに声をかけた。

 

 

「すみません。Rioっていうおっパブに行きたいんですが。」

 

 

 

 

 

「ああ〜そこはもうなくなっちゃったよ。

どう、お兄さん、ウチ、5000円ポッキリ。」

 

 

なんか、経験上キャッチからの入店に良い思い出はない。若干の拒否を見せる私を横目にエイシはニイチャンと話を進めた。

 

 

 

「おっぱいは触れますか?」「はい」

「分かりました」

 

 

 

こんなやりとりが5秒もないうちになされ、私は名も知らぬお店に誘導され、入店した。コイツら業者か。

 

 

怪しげなコの字型の客席に通され、怪しげなメニューを一読する。

とりあえずビールを頼んでソワつきながら待っていると、嬢が私たちの間にちょこんと座った。

 

 

昼下がりということもあって、まだ出勤してない嬢が多く、少しの間2対1になるという。

なるほどね、これがおっパブか。やはりおっぱい性の高い酒絡みのサービス。ビンゴ!

おれの予想は大体合っていた。

 

 

少し酒を含み、嬢と話そうとすると、向こうから話しかけてくれた。

嬢は話しやすく、聞き上手な上に、引き出し上手だった。容姿がどうとか、オッパイがどうというより、純粋に女の子との会話を楽しんだ。

 

 

 

我々の関係や仕事、年齢から出身まで発表しひとしきり話したとこで、気がついた。

 

 

 

 

「この10分くらい、おっぱい、触ってなくない?」

 

 

この事実を私を含め、エイシ、間にいる嬢でさえも気がついてると感じた。

 

あれ、ここって薄暗い部屋でただ女の子と飲む場所じゃないよね??

このままではマズイ。我々は互いにそう感じていた。この嬢の話し上手のペースに乗せられ、おれらは薄暗い部屋でただ頷きながら酒を飲むだけなのか。時間は非情にも歩みを止めない。焦りの表情は隠しきれなかった。

 

勇気を出していくにしても、どう出ればいいのか、会話の途中でいきなり「へ〜そうなんだ〜」といいながら触るか、、?それとも、そろそろ失礼します。と一礼入れて堂々と行くか、、?

いや、どちらも不自然だ、、。

触るタイミングが今だと、慣れてないみたいでカッコ悪いんじゃないのか、、?

 

そもそも、おっパブでオッパイ触らないと、カッコイイのか?いきなりオッパイ触って来るやつと触ってこない奴だったら、触ってこない奴のが良いに決まってる

 

でも本当に、おれたちのこの「俺はいきなりオッパイを触ったりしねえ」っていうスタンスは、おっパブにおいてカッコイイ振る舞いなのか?

 

 

 

というか、おっパブに来て、おっぱい触らずひたむきに酒飲んでる今の状況のが不自然じゃないのか?

おれが嬢だったらちょっと恐ろしいくらいだよ。

なんでコイツら高い金払って何にもしてこないの?そう思われてるのでは?短い時間であれこれ思考が巡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

しばらくして、最初に殻を破ったのは我々でなく、嬢だった。

 

 

 

 

「てゆうか、触らなくて大丈夫ですか?」

 

 

 

2人同時に同じ質問が投げかけられ、我々は面食らった。全く上手い返しが見つからない。

 

おそらく、エイシはもっと複雑な状況だっただろう。私が先輩であるが故に、後輩の自分が先にオッパイにありついていいのだろうか、そんな心配をしていただろう。なんかごめん、全然触ってくれよ。

 

 

この質問に対して、こういう店に知識があるエイシが答えた。

「サービスタイム的なやつあるんですか?」

 

私も聞いた話だが、全面的に「触る為」だけの時間が存在し、それをサービスタイムと呼ぶそうだ。

 

 

「いや、ウチはそういうのなくっていつでも触っていいの!おっパブというよりセクキャバだから!」

嬢はすぐさま答えた。

 

 

 

 


私はこれを聞き、「なるほど」という顔をしたのだ。必要以上に眉間にシワを寄せて、深く頷いてみせた。そうかセクキャバだったのか。ふむふむ。なるほどね。だからか。そんな顔をした

 

無論、「セクキャバ」がどういう店なのか、全く理解していなかった。何ならおっパブよりも分からない単語だった。

 

 

「おっパブというよりセクキャバ」

 

この粗略な陳述により、ワタクシのおっパブはさらに迷宮の深淵部へと歩みを進めた。もうワケが分からない。サービスタイム?がなんだって?おっパブじゃなくて、セクキャバ、、?

 

見たことも聞いたこともないポケモンの説明をされているようだった。

 

 

つまり、明確な触っていい時間というのは存在せず、いつ、どのタイミングでもバトル仕掛けていいよってこと。それがこの店らしい。

 

いつ触ろうか、そんな悩みを抱えている我々に対して、「いつでもどうぞ」はちょっと男前すぎやしませんか?逆にいつでも行けないんですけど。

だったら、やっぱり触っていい時間、触るべきタイミングが欲しい。もう誰かヨーイ、ドンとか言ってくれよ。

 

どうにかしてオッパイを触り始めないといけない。しかしオッパイを触ろうにもどのようなロジックで触れば良いのか。ロジック。ロジックが見当たらない

 

 

 

そんなことを悩んでいるうちに、嬢は後輩であるエイシに気を利かせ、ハイどうぞと我々両方に乳を差し出した。

 

「2つあるし笑」

 

この嬢、、、天才か、この詰まった状況を一撃で打開した。

 

「オオ!この為におっぱいは2つついてるのか!!」エイシはふざけて高らかに笑った。

私も面白くてゲラゲラ笑った。

嬢も笑っていた。この店入ってからこの瞬間が1番盛り上がったと思う

 

 

 

 

しかし、誰もおっぱいは触らなかった。

 

 

 

いや、もういいから触れよエイシ。

エイシも私に対して同じことを思っただろう。

読み合いが始まっていた。

二人の間には無限のやりとりがあるようだった。居合いの達人2人が、剣を抜くことなく間合いだけで凌ぎを削っている。そんな感じだった

後ほど「剣豪」というあだ名でお店の子の間でネタにされるだろう。

 

 

 

3杯目を注文しようとした時、ようやく嬢が1人追加された。かなりスレンダーで可愛い感じの子だった。

 

彼女はエイシの隣に誘導され、必然的にエイシと新しいかわい子ちゃん、私とオモロ女の構図となった。

 

そこから結構飲んで、記憶が曖昧だが、私がトイレ行って帰ってきたらエイシも酔っ払ってニャンニャンしてたことは覚えてる。楽しかった。

 

 

その日の帰りは、十分に堪能できなかった悔しさとなんだかんだ楽しかった気持ちが入り混じって、妙な気分だった。

 

 

 

オモロ女がどんな女の子だったかあんまり覚えてないけど、多分メチャクチャ良い奴なんだろうな。だから触れなかったのかも、今はそう思います。

 

 

 

磯島

見える、見えるぞォ

 

こんばんは、ワタクシ実は昔から自身の健康状態に一定の自信があり、あまり大きな病気にかかったことがない。

 

 


風邪なんかは大抵一日寝れば治るし、仕事行きたくない日もなかなか熱が出てくれない。

中学生、高校生の時に患った恋の病だって、いつのまにか綺麗さっぱりどっかへ飛んでいってしまった。

 

その代わり、落ち着きのない性格は治る気配がなく、子供の頃はよく骨折した。

健康への自信からくる慢心だろう。そんなワタクシは小学生の頃とりわけ己の視力に自信を持っていた。いや、偶然、持つことになった。

 

 

別に特段何か努力したわけではない、ていうか視力のプレゼンスは努力のしようがなくない?

 

当時小学生だった私は努力して得た「何か」

を持っているわけでもなく、習い事だってしてない、ただ帰り道にピンポンダッシュする普通の男の子だった。

 

 

 

視力検査において、ある程度の大きさのCは普通に見える。しかしその後に出題されるcたちは正直あまりみえていない。時折先生の反応を見ながらCの穴の空いている方向を右手で指差し、エスパーを発揮する。みんなが苦し紛れにやってるアレだ。もちろん勘だった。

 

 

 

 

 

 

忘れもしない、あれは凄く寒い日の視力検査だった。雪が朝から降り続け、一向に止む気配のないそんな日だった。

出席番号が1番だった私の視力検査は、後ろで控えるクラスメイトの注目を必然的に集めていた。

 

 

目は悪い方ではない。てか小学生は大体目がいい。それでもこの日の視力検査は何か、何かおかしかった。

当たる。当たりまくる。先生は別に都度正解とか不正解とか言ってくれるわけではない。しかし、感覚でわかる。その反応、その目付き、どんどん小さくなっていくc達が、正しいダイレクションであると伝えてくれる。ざわめく会場、少し体を斜めにしてカッコつけるおれ、とんでもないエスパーでcの穴を言い当て続けた。ポッケに手でも突っ込んでやりたい気分だった。

 

保健室で起こった小さなミラクルはおれをトップオブ・眼力へ導き、脅威の両目2.0をマーク。

先生が静かにしなさいと一喝入れて、おれはクールに教室に戻っていった。カツカツとわざと音を立てるように階段を駆け上がり、乱暴に椅子を引いて、ズシンと腰をかける。「フゥーーー、、、」常人を余裕で置き去りにしていた。

 

 

高鳴る胸を抑え冷静に状況を分析。

直接見えたワケではない、、、なんだったんだ今の、、今、、目以外の何かで「見えた」、、、

 

 

 

 

 

 

心、、、「心で見た」んじゃないか、、??

 

 

これが心眼、、

 

 

 

 

 

「君たちはまだ『目』でみてるのかね」

 

 

 

 

 

視力検査で心眼を使用したという事実は、ワタシに最上の満足感を醸成し、ピンポンダッシュしか取り柄のない童貞をつけあがらせた。

 

 

 

 

だが実際のところ本人はわかっていた

 

 

 

 

誰も競っていない「視力」というフィールドにわざわざ生命を与え、そこで勝手にトップに君臨している。視力なんてもんを取り柄にして自我を保っていても虚しいだけ。それでも、それだけ、、、それしかなかったのだ。

 

 

 

皆んなが大好きだった昼休みのサッカーがあまり得意じゃなかったし、50メートル走もクラスのデブと同じ9秒後半だった。

「頭が良くてスポーツができる」というのは小学校においてモテる最大の要素であるが、残念なことに両方当てはまってはいない。

ワタシの目立ちたがりな性格はどうにか食らいつこうと、全裸に「視力」という一張羅だけ羽織って少年野球の男子達、サッカークラブチームの男子達、詰まるところ一軍男子に一矢報いようと試みたのだ。

 

 

 

教室に戻ったおれの机の周りを、昼休みに男子大勢が集まってチヤホヤしていた。雪のせいで外で遊べない分、たくさんの人がいた。

 

初めての経験だった。クラスの人気者というのはこんなにも満足感の高い環境に身を置きながら義務教育を享受していたのか。何もかもが美しく見えた。周りもよく見える。みんながおれの話をしている。

おれは視力がどうとか、心眼がどうとかもうそんなことは忘れて、ただこの幸せが継続することだけを望んでいた。

 

 

机の周りで盛り上がりまくった男子の話は、ワタシが目が良すぎて「廊下の端から反対側の端の防火扉の注意書きが読める」から「あの子のパンツが透けて視える」まで話がブッ飛び、最終的に

「磯島は視力が良すぎて未来まで視えている」みたいな話にまで飛躍した。馬鹿か

 

もうそれ目が良すぎてどうこうって話じゃねえだろ、、、SFが過ぎる。

大勢というパワーに、押し倒されるかのように話に歯止めが効かなくなっていた。

 

変な盛り上がりによって人外のパワーを要求されたワタシは、少し得意げな感じで外を指差し「この雪、もう止むね」と言ってみせた。オヒレがつきまくった話に不安がありながらもがっかりされるのが怖かった。

 

 

 

 

もう視力とか全然関係ないし、めちゃくちゃ見えてたとしても無理ある。防火扉やパンツのくだりで適当にあしらって終わればよかった。やや投げやりになっていた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

止んだ。雪が、ピタリと

 

 

朝からあんだけ降って、もう今日は止まないって言ってた雪がまさかのタイミングで止んだ

そりゃあ降っている雪はいつか止む。ちょっと待ってくれ、今すぐじゃない。

 

 

 

 

ウワアアとはしゃぐ男子の中心で、1番びっくりして動揺する童貞エスパー。変な汗が大量に出てすごく寒かったことを今でも覚えている。

 

 

もうその先の展開は読めていた。

あれやこれや未来を占う事をいろんなやつから要求され、その度におれは「今日はもうパワーを使い切っちゃった」と言って逃げる。

ただがっかりされるのが怖くて、いつまでも「超人的視力」にまで飛躍したダウンジャケットを脱げないのだろうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おれはいつしか社会人になった。

今年転職も経験した。前の会社の健康診断で発覚したのだが、視力はだいぶ劣化していた。もう、あの頃の純粋さも失って、ギリギリ見えないCも勘で当てるようなこともしなくなってしまった。間違えて、少しでも視力を背伸びしようとしてると思われるのが恐ろしいからである。

 

 

「すいません、ちょっと見えません」

 

 

おれの両目はメガネしないと運転してはいけない領域にまで落ちぶれた。

 

 

 

 

コンタクトはなんか怖かったし、費用もかかると聞いていたので初めてzoffに行ってメガネを探した。本当に顔によって似合うメガネ、似合わないメガネがあるなあとわかるものの、自分に似合うメガネは何一つわからない。不思議だ。ソワソワしながら同じメガネを何度もかけるワタシを見て、店員さんが声をかけてくれた。コイツほっといたら退勤できねえと思ったのだろうか、一言目が「それより、こっちの方が似合いますよ」だった。話が早えな。上等だ。

 

 

髭面の、若いイケメンで黒縁メガネをかけていた、似合っている。そして、服もなんかすごくオシャレだ。恐らくいい匂いもしただろう。一瞬にして絶大な信頼をこのニイチャンにおき、話しかけれれて20秒もたたぬうちにフレームが決定した。

 

鏡を見てもいまいちピンときてはいないが、なすがままにレジへ誘導され、容易く財布から一万円札が出て、会計が済んだ。

 

 

 

 

 

 

似合ってるかどうかは別にして、外に出て驚いた。「視える」のだ。全てが。

あれもこれも視える。ぼやけてた遠くの人の顔も、標識や看板なんかもよく視える。満足だった。

よく聞く言葉だが、これまでどれだけ視えてなかったのかわかる。まさにその通りだった。

 

ずっとメガネをかけていると、外した時の無能感で不安になったりもする。ちょっとだけど、見えないって怖いなって思う。

 

 

 

 

 

今ならアレができる気がする。

 

あのキングダムの敵軍の動きを大将に伝えにくる役目の人。  

 

 

「前方に敵軍!!その数、20,000!!」

 

 

キングダムは中華という広大な領土を舞台に、人の皮をかぶったマッチョ達が狂喜乱舞している漫画です。面白いです。

 

 

 

 

 

あの人達の視力は一体、どうなってるのかね

何里先かもわからない人の数を一瞬にしてカリキュレートし馬を走らせ報告にくる。人外の視力。

 

しかし今ならわかる。メガネだ。zoffで髭面のイケメンからメガネ購入していたに違いない。あの頃の中華にもzoffがあったという事だ。

 

紀元前といえども目の悪い人は当然いただろうし、目見えなくて敵か味方もわからない状態のマッチョが剣だの槍だの振り回してたらシンプルに迷惑である。

 

 

偶然周りに居合わせた味方の「アンラッキー」たるや、そのまま殺されたのだとすれば御親族の皆様は悔やんでも悔やみきれないだろう

 

 

そして、仮にそんな目の悪いマッチョが何十人もいたのだとすれば、もはやそれは戦争どころではないのだ。

 

両軍の力を合わせて、まずは、戦場にいる「目の悪いマッチョ」の鎮圧をはかった方が良い。戦争はその後だ

 

 

 

つまり、秦の時代の中華にもzoffがあった。

なかったとしてもメガネ市場くらいはあったはず。

 

あれ、何の話だっけ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あの雪の視力検査から20年くらい経つ。

いつワタシは「視力」という一張羅を脱いで、何を誇りにして何年も生きてこれたのか。

メガネを外した時、見えないという異常な不安が、あの頃の何かに縋りたい、何か取り柄にしたい気持ちを思い出させる。

 

 

メガネによって視力を取り戻した今、また雪が降ったら声を大にして大勢の前で言ってしまいそうだ、

 

「この雪、もう止むね」

 

 

 

 

そんで、止まないのがいいな

 

 

 

 

 

 

 

磯島

 

 

お尻を出した子、一等賞

 

に含みがありすぎてて、スッキリしません。

苦しんでいます。

 

 

正直、さっさとスマホでググってしまいたいのですが、何も考えずただ発展し続ける文明に脳死で身を預ける様子が、なんだか現代っ子みたいで悔しいので必死に考えを巡らせてます。優に20分以上が経過しようとしている。明らかに睡眠に支障をきたしています。

 

 

 

 

ワタクシはと言いますと、アメブロ、前略、mixiが中学から高校にかけての世代であり、ガラケー使ったことないZ世代に対して必死にマウント取ってるアラサーなのです。そう、貴方の周りにもいる、ソイツです。

 

 

TikTok だってやってないし、ここだけの話YouTuberにも非常に疎い。サンゴをダメにするウニをひたすらブッ殺す動画しかちゃんと見たことがない。

これに関してはいい加減どうにかしなければならないと思ってます。

 

昔、PHSボーダフォンでマウント取られて散々ウザがってたくせに、今おんなじようなことしてる自分が恥ずかしいです。すいません二度としません。PHS世代の人は黒電話マウント取られてたのかな?知らんけど。

 

「とりあえずウィルコムで2台持ちして、電池パックの裏にプリクラ貼っておけばカースト上位に君臨でき、大体の女子と友達になれた。」

「Sinceやluvをメアドに使って「付き合った」「別れた」がバレる」

みたいな懐かしい話、楽しいよね。同世代だけで今度話しましょ、、、

 

 

______

 

 

スッゴイ脱線しました。

 

 

何かはわからないが耳にすごく残っているあのメロディ。「熊の子見ていたかくれんぼ、お尻を出した子、一等賞」

 

 

は?、、、何が?ちょ、、、、なんなん?

 

 

 

恐ろしいほどに日本語の文法が崩壊しており、意図もまるで掴めない。こんなの、日本人でも理解不能。日本語勉強してる人なら「ナニイッテンダコノファッキンジャップ」となるに違いない。

 

 

 

 

なんの前触れもなく登場した「熊の子」と、息つく暇もなくケツを出す「子」。文脈を読み取らせるとか、登場人物の情操を感じるとかフル無視した、身の毛もよだつ一方通行。何かを伝えようとする気が全く感じられない単語の羅列により、今のところ「おそらく日本語」と言う情報しか入ってこない。

 

そもそも、口語でもないのに脱落が激しすぎる。

「が」が抜けまくってる。入れろよ。

 

 

 

 

 

 

 

全体的にどういう事なんですか、??

 

 

 

 

読めば読むほど、いろんな解釈ができる。そこで今回は何を伝えたいのか、どんな含みがあるのか、考えるほど出てきた中で可能性の高そうなものをいくつか発表したいと思います。

 

 

 

 

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まず、この不気味な歌の全貌は私の知っている限りで、

「熊の子見ていたかくれんぼ、お尻を出した子、一等賞、夕焼け小焼けでまた明日。また明日。いいないいな、人間っていいな、美味しいご飯に(なんとかお風呂)、あったかい布団で眠るんだろな、僕も帰ろお家へ帰ろ、デンデンでんぐり返しでバイバイバイ」

(括弧部分はうろ覚えです。詳しい方、ご指摘ください。)

 

「人間っていいな」という発言から、主語はバケモノ若しくは人外の何かだと推測できる。

ここでいうと、「熊の子」がそれに当たる。

 

 

 

 

 

全体を俯瞰すると、一文一文で意味の通じるものはあるものの、「急なでんぐり返し」や「かくれんぼ」など、文としての繋がりを見出せないものも多い。そして何よりも、「お尻を出した子、一等賞」だけ異様に浮いてる。そういう意味で、何かの比喩表現として捉えるか、ことわざ的な含みを持つものだと解釈する方が妥当性が高い。

 

 

 

 

 

 

「お尻を出した子、一等賞」の含みとして現段階で1番可能性があるなと考えている解釈は、

 

「いつもかくれんぼにおいて、一等賞を取る高いハイドスキルを持ち合わせたやつが、今日はお尻を出してしまっていた。」転じて、あらゆる分野の達人でも、時には失敗してしまうこともある。

 

これは、「河童の河流れ」や「猿も木から落ちる」と同一ラインの解釈と言える。

なんか、これ系のことわざ、多くない?弘法も筆の誤り、釈迦にも経の読み違いとかもそうじゃない?

 

プロや達人がミスる様子にキャッキャと喜んで

何回も同じことわざ作った我々の先祖、陰湿すぎないすか??

 

 

ちょっと重複が過ぎるか、、、、

 

 

 

 

 

 

 

 

「熊の子見ていたかくれんぼ、お尻を出した子、一等賞」

 

次に可能性があると思う解釈は、

「かくれんぼという隠密性の高い競技において、肌の露出は目立つので命取りになるが、お尻を出したやつが逆に自然に溶け込み一位になった。一般常識で保身に走るより、思い切りをつけて行動した方が、物事というのは案外安定的に進むものだ。転じて、様々な技術革新が蔓延り、既存事業の拡大に傾倒し変革を受け入れられなかった企業が破壊的イノベーションの波に呑まれて行く様」

 

 

 

 

 

こちらは、クマちゃんを使って表現せんとする事象としてはややダイナミック過ぎるきらいがある。しかしながら、後ろに続く技術革新による生活環境の変容の記述にスムーズに繋がるため、少しばかり強引ですが文脈的にアリだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして深い考察の末に先程到達した1つの仮説、それは、別に「転じない」というものです

 

つまりこれは、なにも ”転じて” 比喩的にある事柄を巧みに説明する訓戒の類ではなく、ただ単に一匹の熊がかくれんぼを観察していたところ、シンプルに、お尻を出した子が優勝しました という特定の事象の発表以外の何物でもない、という恐ろしい仮説です。原点に還る。

 

すなわちこの意味は、と聞かれれば無論文字通り「四足歩行の毛深い生き物が、かくれんぼを見ていたところ、最終的にお尻を出した者が勝っていた。」というだけ

 

 

 

、、、、、、、、

 

 

 

 

 

 

まあまあ可能性があるかなと思うのは、

 

「熊の子見ていたかくれんぼ、お尻を出した子、一等賞」の漢字にフォーカスした仮説である。

「子」に対する解釈のアプローチが異なっていたことによって思考が行き詰まり、本来の意図を読み取れないのではないか?というコペルニクス的転回による逆転思考である。

 

本来の漢字は「クマの娘見ていたかくれんぼ♡、お尻を出した娘、一等賞♡」で、動物っ娘メイドカフェにて催された萌え萌えかくれんぼ♡において、ある娘が御法度とされる「お尻だし」で客を魅了し、その日の個人売り上げ1位を達成した。転じて、物事というのは時にやってはいけないと分かっていても、危ない橋を渡らなければならない時もある。

 

 

 

こちらは、、、、、まあ、状況によってはあり得るだろうな。という見解です。

 

萌え萌えかくれんぼ♡についての詳細を考えていたところで、一旦我に返ったのでもう寝ます。

 

 

失礼しました。

 

 

 

 

 

 

磯島

実家の猫

 

もう随分と昔の記憶。

 

ある雨の日、学校から帰ると庭に猫がいて、何やら与えられたミルクと食べ物を貪るように食べていた。それを嬉しそうに見る妹と母、大体、察しがついた。

 

私の実家は田舎の中でもおそらく上位に食い込む程、“田舎”であり、最寄りのコンビニや駅、スーパーなどは到底歩いて向かえる距離にない。近所にはワケのわからない地蔵、巨大な精米機、全く機能していないバス停、そして森がある。

見渡す限りの畑と田んぼ、野生のサルやイヌ、ネコなんかは日常に溶け込み、毎日のようにクマが出たと防災放送が流れる。夜になるとキジバトとカエルの鳴き声が心地よい、といったそういう“田舎”なのである。

 

なんでしょう、この田舎度合いを動物の名前の羅列でしか表現できないボキャ貧さにびっくりしてます。

 

 

 

 

 

 

 

 

まあおそらく、庭にきた野良猫に妹が餌を与えたのだろう。

 

 

 

 

 

これは田舎あるあるなのかもしれないが、庭に入ってきた野生動物や公民館にいる動物にエサを与える行為は、多くの場合、ご法度とされている。

理由は単純で、餌を求めて棲みついてしまう可能性が高いから、なのだ。ハトにエサをやらないで!と同じ原理だ

 

 

つまりは、庭に入ってきた猫にエサを与える行為それ自体にはソイツを「飼う」責任と覚悟が伴うということだ。

 

しかし、情を捨ててお腹が空いた野良猫を放置することの方が確かに難しい。

当時の妹にとっては、可愛いし、可哀想だから餌をやる。程度のことだったのだろうが、母は棲みつくことを懸念し「あんまりご飯あげすぎないでよ」と軽めに釘を刺した。 思いっきり棲みついた。

 

 

 

 

その猫は庭でも1番日の当たる場所で横になり

鋭い目つきで睨みを効かせていた。野良猫ということもあり、耳は喧嘩で欠けて、何より痩せこけていた。

 

 

完全に棲みついてしまった猫を、飼うのか飼わないのか家族で意見が割れた。というか、父親以外は賛成だった。

 

 

「ああ、、棲みついちゃったなら飼うしかない。」

「こんなに痩せちゃってる」

一糸纏わぬ母と妹にはそれを「飼う」選択しか見えていないらしい。


父親は猫を見るなり悲鳴を上げ、これに猛反対した。「そんなもん、うちで飼えるわけないだろ、家が毛だらけになってしまう」父は動物が苦手な訳ではない。むしろ昔から犬を飼っていたし、好きな方だろう。でも、猫アレルギーだった。早く。自然に返せ。外に出せ。家に上げるな!家が毛だらけになる!毛だらけになるだろ!毛だらけになったら、大変だろう!

大騒ぎしている

 

 

普段なら飼うことに反対する母は、諦めた様子で「もうこの猫を自然界の野生に返せない」「そんなことをしたら、野良猫界隈の生態系が崩れてしまう」的な事を言った。おそらくもうこの猫は人間界の味を知ってしまったみたいなニュアンスだっただろう

生態系が崩れたら、責任が取れない!

 

 

 

 

 

猫アレルギーだから嫌だ、という気持ちは分かるが、一方、野良猫界隈の生態系については一切意味が分からない。たかが野良猫1匹を飼いはじめたとこで、生態系が崩れるわけなくない?

森の番人か何かなんだろうか?

 

 

 

母が動物好きということは知っていたが、“野良猫界隈の生態系” に熱い女性だとは、さすがに知らなかった。私は小学生ながらに、母が自分以外のものに気をかけることができる余裕のある人なんだ、と納得した。

 

結果的に、彼女たちの意見は父の猫アレルギーという切り札を粉砕し、猫はうちで飼育されることになった。

 

 

ていうか、猫アレルギーの家族をお構いなしに同じ屋根の下で猫飼い始めた。という出来事そのものが不思議だが、親父が猫アレルギーというのはみんな初耳だったし、信じていなかったのかもしれない。今思えば、父の主張が尊重されることなど滅多になかったようにすら感じる。

 

 

 

名前は妹が決めた。毛模様がチーターに似ていることから「チーター」と命名された。安直すぎる。

 

 

チーターはその名前に恥じぬ獰猛さを持ち合わせていた。最初の頃は人間を警戒し、懐いているのか懐いていないのか全くわからなかった。

ご飯食べている時、顎を撫でられている時は低い音でグルッルルッルウ↑と鳴くが、抱っこしたりお腹を触る人間に対しては一切容赦しない。「人間ごときが俺に触れるんじゃねえ」そんな勢いで爪を振り下ろし、肉を切り裂く。骨も断つ。あとすごく嫌な顔をする。

 

 

 

甘えたり、猫用のおもちゃで遊ぶことはあまりなかった。いつもソファの上にちょこんと座り、全てに無関心を決め込んでいた

それはクールなイケメンだった。私は、男として尊敬の念すら覚えた。

 

嫌なことにはハッキリ嫌と言い、鋭い目でこの世の理を否定する。決して自身のスタンスを崩さない。時折、目を瞑って精神統一する姿はどこか物々しく、渋さすらも感じさせる。

「プライド」だとか「他人からの評価」などという下等な”飾り“に左右されることなく、

「好きにすれば良い」みたいな、涼しい顔をしていた。

 

 

 

 

出会ってすぐだったが、私はもうこの漢(オス)に

魅入っていた。勝手にリスペクトしこんな男になりてえとまで思った。そうだ、“チーターさん”。“チーター兄貴”とそう呼ばせていただこう。 雌(メス)だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

、、、、、、、、

チーターは「雌」だったのだ。

 

 

 

 

 

 

イケメン、カッコいい、いぶし銀だ、今日も佇まいが渋い、とその男気を祭り上げてきたチーターが、女性だった。

 

 

世界を見下し、骨も肉も断つクールな女性。

つまり天海祐希ってこと?そう、女王の教室の、それだ。

 

チーター」という名前、このクールな態度、思想は男性のそれだろう、漢の思想だ。という謎の先入観による痛恨のミス。

 

 

 

 

不躾な私を見て、チーター姉貴は眉ひとつ動かさず少しこちらを見て、静かに目を閉じた。

コイツはもうダメだ。と思ったのだろう。

懐の深い猫でよかった。場合によっては腕の一本ぐらい持っていかれてた可能性も十分ある。

 

 

 

 

 

、、、、

 

動物の感情や、何を考えてるかを想像することは大抵、「人間に当てはめたら」という大前提で行われてる。

 

 

コチラ側が与えた影響に対して、動物の反応までコチラ側の視点で物を言うニンゲンのスタイルほど暴力的なものはない。

 

いやわかるよ、仮に、めちゃくちゃ人間の言葉喋れる猫がいて、ソイツが「ねこのきもち」の編集担当、監修を行っていて、大多数の猫が「わかるわぁ」というなら頷ける。

「あ〜その猫の反応はねえ、眠い時のやつ」「その鳴き声のトーンはご飯欲しい時」「わあ嬉しがってる」

 

 

勝手に動物はこうだと想定し、勝手に統計でこうだったと結論し、そして勝手に好きになったり嫌いになったりすることが出来る。いつだって一部しか見てない。

 

人間でさえ文化や地域の違いで感情や仕草、行動にめちゃくちゃ違いがあるのに、動物同士の関係性、ましてや猫文化なんて私たちには計り知れない異次元なものじゃないすか。一辺倒に「猫がこうしたらこう思ってる」みたいな憶測ってどうなんでしょうね。

 

チーターはただそこにチョコんと座って一貫して目を瞑っているわけだが、その間、何を考えているのかは相変わらず一切分からない。人間をぶっ殺そうと計画しているのか、今日はさみいから早く寝るべなのか、技術力のある企業に投資してえなのか。でも自分は自分の中で勝手に作り出した猫の偶像と対話し、勝手に、猫と何かが分かり合えたような錯覚を起こすんです、身勝手だなと思います

 

 

 

 

 

、、、、

 

 

私は、中学生になった。

チーターは相変わらずソファの上に体を丸めるが、少し食べ過ぎなのか貫禄が出てきた。

父親も慣れたのか時折舌を鳴らして猫を呼んだりしていた。

 

ある冬の日、私は父に強請ってスピーカー機能が付いたエナメル生地のバッグを貰った。肩から下げるタイプで、ラジオコンポのイラストがどデカく描かれている。というか、ラジオコンポに模したバッグで、ソイツから音楽が再生できるのだ。

 

今想像するだけでも、鳥肌が止まらない神がかった厨二アイテムだが、私は当時、コイツで朝、大音量でSUM41を流しながら登校したら最高にカッケエじゃん。と思った。

 

 

 

 

当時の私は別にオシャレにも興味はなく、髪型だってセットしたこともない。女の子とまともに喋ったこともない、しがない童貞だった。

中学生だったこともあって、もちろん周りには童貞しかいないわけだが、モテるやつには際立った共通点があった。

 

モテるやつは余すことなく、ワルだった。大抵のワルには不思議と彼女がいたし、ワルはクラスの中心にいて、いつだって意見が通った。そして、ワルはなぜか女の子と自然に会話ができるのだ。

 

 

 

私はこのスピーカー機能がついたバッグで最高にカッコつけて、ワルの仲間入りを目論んだ。

 

当然、公立中学だったのでスピーカー機能がついたバッグなんて余裕で不要物扱いで、先生に取り上げられるだろう。しかし、バッグで最高にカッコつけた後、先生に見つかって取り上げられる。というのはむしろ、おれのワルが初めて露呈するパフォーマンスになり得る。「普段はあんな感じなのに、、意外とワルじゃん、、、、トゥンク////:」

俺の作戦は完璧だった。

 

 

前日、セブンでギャッツビーのワックスを購入した。もちろん明日を最高のパフォーマンスで臨むためである。ピンクの容器で500円玉くらいのサイズのやつだ。なるほど。これが一回分か。

 

家に着くやいなやワックスとスプレーを取り出し、そそくさと鏡の前に移動した。セットの仕方なんてものは知らなかった。あれじゃない、こうじゃないと試行錯誤した結果、髪をこれでもかと言う程に天空めがけてゴリゴリに持ち上げ、ワックスでゴリゴリに固めてから、スプレーでゴリゴリに固めた。明らかにワックスをつけ過ぎて毛束に光沢が走っていたが、おれにはワックスをつけた髪の普通が、スタンダードがどうなのかわからなかった。どこに着地していいのか。わからないからとりあえず天を目指した。

殆どウニとしか表現のしようが無い自らの頭髪を見て一人、心地良い満足感を覚えた。完璧だ。

これで明日朝学校に行く前に髪型に悩まなくて済む。

人事を尽くして天命を待つ。それだけだ。俺は徹底した

 

 

事件は教科書をラジオコンポバッグに移そうとした時に起こった。

時間割を確認し、明日の教科書を入れようとバッグを手に持った時、何も入ってないはずのバッグに少し重みを感じた。

 

雷に脳天ぶち抜かれた衝撃だった、中にはでかいモグラの死体があった。

「ウワッッ!!え!?、、、なに、、臭ッ!!ネズミ、、?モグラァ!!!!」

 

 

血と土が混ざったものが中で散乱し、何より臭え。

 

確実にチーターの仕業だった。所謂お裾分けみたいなやつだ。時折、チーターは庭からネズミやスズメ、モグラを捕まえて家に持ってくる。そして食べるわけでもなく置いておくのだ。

 

急いでバッグを逆さにしてモグラを処理したが、血と土でベトベトになっている。中にはスピーカー用の機材が露出してて水洗いが不可能だった。かと言ってウェットティッシュでゴシゴシ綺麗にする勇気は無かった。

 

 

おれの計画は無惨にも散っていった。天に向かって伸びた黒いモダンアートがメシメシと音をたて崩壊した。

 

 

 

 

チーターが何を考えているかはやっぱりわからない。

たまたま、ちょうどいいバッグがあったからそこにモグラ入れたのか、おれの頭から伸びるアートやしようとしているダサい行為に気づいて止めてくれたのか。

 

 

、、、、、

 

 

 

 

 

 

大学生になって実家を飛び出し、いつしか社会人になった。家族のグループLINEが動いて、母からチーターが亡くなって庭で荼毘に伏せたと知らせを受けた。

いつもの場所で老衰で逝けたとのことで幸せだったろう。

 

 

人間に真意はやっぱりわからないが、あの時、我を忘れた童貞の奇行を止めてくれてた彼女にありがとう、と伝えたい。

 

 

 

 

 

 

磯島

NARUTOという作品が天才すぎるからそれを伝えたいだけ

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こんにちは。

随分昔に書いた記事で、お蔵入りになったものを

暇の権化であるワタクシがちょっと書き足して公開しようとしています。

 

昼間、一人でコードギアス見ながら酒を嗜み、酔っ払った勢いです。粗末な文ですがご容赦下さい。

 

 

あ、ネタバレ含みます。ご注意を!

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最近はブログ以外で色々書くことが多く、こんなもののために2000〜3000字書く余裕がなかった。

 

ブログの内容的に、一度NARUTOを読んだことがある人向けになってしまいました。

NARUTOを一度読むことはとても素晴らしいことだが、この記事を読む前にわざわざ読む必要はない。そしてこの記事を読んでも、「NARUTOが読みてえ」とはならないだろう。

 

終始、何言ってんだコイツ感が尋常じゃない。コイツは何をそんなにも興奮して、書いているんだ、、、コイツは一体なんなんだよ、、、、

 

 

 

もうタイトル通りで、それ以外に伝えたいことはありません。もう何度漫画を読み返し、アニメを見返したことか分からない。数ある少年マンガの中から、今回、NARUTOを選んだのはNARUTOが最強にして最高、つまるところ人類のバイブルだからだ。

 

NARUTOという書物が日本の数ある著作の中でもぶっちぎりで崇高な作品であり、それがどんなに分厚い書物よりも含蓄の詰まった奇跡のマスターピースであることに関しては、もはや議論の余地はない。これ程までに人間としての生き方を伝えてくれるバイブル(聖書)は、およそ他に見当たらない。

 


最初の頃は厨二病を拗らせたサスケが個人的に好きなキャラクターだった。喋らずただ顎の前で腕を組み、口を開けば「復讐」「あの男」「一族」「殺す」だのと全体的に尖っていたサスケは当時の私にブッ刺さった。

 

2周3周と読み返すうちにやっぱりイタチが好きになり、紅先生がお気に入りになってから圧倒的に可愛いリンになり、その後クシナの包容力と優しさに度肝を抜かれてから、エビス先生やイズモやコテツ、ザクアブミに注目する時代を経て、近年、とうとう、巡り巡ってサスケに辿り着いた。

 


NARUTOで好きなキャラは?と聞かれた時に「サスケ」や「ナルト」と答えるのは、好きなバンドは何ですかと聞かれて「ワンオクです」と答えるのに似た何とも言えない恥ずかしさがある。どこかミーハーではない自分をアピールしたくて、たまらないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いや、ワンオクは別にカッコいいし最高のバンドだよ、おれも高一までめっちゃ聞いてた」

 


みたいな

良いよ、良いけどもう聴いてない。ワンオクは卒業しました。みたいなアピールが逆にダサい。みんなの中にもいるんじゃないですか?ダセエ自分。全部それぞれの良さがあるじゃない

 

※ワンオクは素晴らしいバンドです。

 

 

 

もはや20周近く回って、本気出せばいつか螺旋丸くらいは出せるとマジで思ってる自分にとってみれば、その質問に対して知った顔をしながら「鬼童丸」と答えるやつの方が、むしろ恥ずかしい。もう、サスケで良くない?

 

 

 

 

 

思えばゲームキューブで初めて買ったゲームがNARUTO激闘忍者大戦4だった。

その頃私といえば、田舎の小学生でスピードメーターが付いた青のチャリで下り坂を爆走し、時速40キロを超え、車を追い越していた。

 

 

 

激闘忍者対戦という格ゲーの登場は、チャリのスピードでしかお互いにマウントを取り合えなかった少年たちにとって革新的な出来事だった。

当時、「ロックリー」「九尾ナルト」「呪印状態2サスケ」が群を抜いて強く、特にロックリーの裏蓮華は到底人間が目視で追えるようなスピードではなく、不可避のミサイルと化していた。

 

もちろん全員、ロックリーを選択する為「どちらが先に裏蓮華を叩き込むか」の闘いになり、コンボや代わり身などもうどうでもよかった。

 

 

しかし、相手の「裏蓮華」に対して「裏蓮華」で返すと後者の裏蓮華が必ずヒットするという事実が露呈すると「どちらが裏蓮華を我慢できるか」という居合い斬りさながらのゲームに発展してしまい、激闘忍者対戦は舞台から降りることとなった。

 

 

 

私のNARUTOの視聴方法はというと、好きなシーンを選択し、そのシーンを最高の状態で迎えるために10話〜15話ほど遡って観る。いわば「助走」を取り入れるのである。

例えば、綱手捜索編 第九十四話 くらえ!怒りの螺旋丸の「俺は火影になるまでぜってえ死なねえからよ!」のシーンが観たいなと思ったら 第八十四話 唸れ千鳥吠えろサスケ!から見直すのだ。そこまでのストーリーにどっぷり浸かり、登場人物全てにどっぷり感情移入する。賭博屋のオッサンや、水風船屋台のオッサンにも余すことなく。全てを背負って好きなシーンを迎える。

 

ナワキとダンをナルトに重ねて首飾りを賭けるとこでひとまず泣き、「火影は俺の夢だから」のセリフがナワキとダンと重なって聞こえる演出で泣き、

 

 

 

 

 

 

 

「俺は火影になるまでぜってえ死なねえからよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

........

 

 

 

 

 

ハッt!!!!!!!!ソイヤ!!!!!

テ〜ェエエ↑テレレレ〜エエエ↑

 

の和太鼓と三味線のあの挿入歌でブッッッッ跳ぶのである。その頃には酒も回っている状態で涎を垂らし、ハッ!!!!に合わせて号泣し、痙攣するのがルーティンとなりつつある。

もうこの時点でおおよそ「アニメを見る人間」の姿からかけ離れている。

 

 

もうこの和太鼓聴きたいためだけにNARUTO見てるまである。Japanese kakkoiiの全てが詰まった曲だと勝手に思ってます

 

これ共感する人結構いるんじゃないかな?

https://youtu.be/5jYwAWIATIE

 

 

 

 

さて、本題の「NARUTOが最高過ぎる」という点については、

 

魅力的なキャラクターに加えて、巧妙なストーリー構成、読者に予想させるワクワクする伏線、など最高なポイントはたくさんある。

 

そもそもNARUTOのメインテーマは「戦争による報復の連鎖をどうするか」という、かなり少年マンガらしからぬ設定が組み込まれている。

第三次忍界対戦後がメインストーリーなので、大袈裟に言って登場人物の5割は「もう死んでる人間」である。しかし登場人物の設定がしっかりしているお陰で、作中一回しか登場してないシスイに加えてカガミ、トリフでさえ人気の高いキャラクターだ。

 

 

単行本が発行されていた2014年までは、殆ど自分はNARUTOを読む為、その為だけに生きているのであり、仕事や恋愛、学業といったその他諸々の活動は、「NARUTOの新刊が出るまでの暇つぶし」という立て付けだった。

 

今でも覚えてるが、NARUTOの最終回のジャンプの表紙はなぜか暗殺教室の殺せんせーが一面を飾っており、マジで刷り直して欲しくて買わなかった。あんなに最終回まで後2号!とか煽っておいて、、、、殺せんせー???え!?!

 

 

みんなにも買わないで欲しかった。刷り直せよ!!!刷り直してくれえ、、、

 

その後のNARUTO完結記念で六本木で行われたNARUTO展に足を運び、色褪せない最高の思い出と共にNARUTO人生を終わらせた。岸本先生の次回作まで暇つぶしが始まるのだ。

 

長い月日を経て、やっと始まった次回作サムライ8。個人的にストーリーよかったけど打ち切り。

BORUTO」はちょっと子供向けに作られてる感じがキツいし、、、、悔しいよ、、、、

 

 

 

 

 

個人的に好きなNARUTOの演出の話をしよう

 

本当に1番を選ぶことはできないが、マンガもアニメも両方最高の演出だった、仮面が割れてトビの正体が結局オビトだったとわかるシーン。マンガだと63巻、アニメは598話。

 

 

これまでトビの正体について、マダラなのか、オビトなのかという議論でさまざまな憶測が飛び交っていた。

-右目が写輪眼で左目隠してる→オビトやないかい

-写輪眼あるけど能力が神威じゃない→ほなオビトちゃうか

-小南戦での髪型がオビト→ほなオビトやないかい

-オビトは岩の下敷きになって死んでる→ほなオビトちゃうか

-すり抜け能力が神威と同じ時空間に繋がる→ほなオビトやないか

-隠されてた片目が輪廻眼→ほなオビトちゃうか

-万華鏡写輪眼の模様がカカシと一緒→ほなオビトやないか

 

思いつく限りでこの量である。実際はもっとしつこいミルクボーイを披露し読者を沸かせたものだ。

アニメだとそのややこしさは熾烈を極め、初期のトビはゼツと声優が一緒、それ以降はマダラと声優が一緒、仮面が割れてようやくオビトの声になるのだ。ややこし、、、、もうそれじゃわかりませんやん

 

 

漫画版だと、ナルトがお前は誰だァと叫びながら螺旋丸で仮面を割った直後に598話が終了し、599話のタイトルがうちはオビト!!になって、いきなりオビトの回想シーンが始まるのである。マジで最高に痺れる。

アニメではカカシとオビト、さらには2人の写輪眼、オビトとナルト、が見事な対比表現で描かれてる。あれ作画した人、お礼が言いたい。サンキューな。

 

 

オビトじゃなくてオビトの写輪眼が奪われてると信じてた人にとって、落雷を受けたような衝撃だっただろう。回想シーンもオビトが岩の下敷きになった後、誰がもう片方の写輪眼を奪ったのかという視点で見てた人もいれば、なんでオビトが闇堕ちしたのかという視点の両方で観れる内容になっていて、、、、、もう、、、、、ほら、、、、んーーーーーーーーん♡最高♡

 

 

最後、終末の谷の柱間像とマダラ像の印が崩れて和解の印になるとこも、全然言ってくれなかった「ウスラトンカチ」を最後に言ってくれるところも、最終話にサスケのナレーションで終わるのも全てスゲエ。岸本しぇんしぇええええ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、ここまで書いたところで、自分がNARUTOの細かい知識をひけらかす、ちゃんとしたキモ男になっていることがわかりましたので、やめたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

磯島

 

 

魅惑の街、ラスベガス②

 


こんにちは

 

ドトール津田沼南口店で不慣れな様子で足を組み、ワケのわからないメーカーのノートパソコンで仕事してる風な男性を見かけましたか?

 

 

 

それは間違いなくワタクシです

 

 

カフェに対してあまり知識を持っていない私は、ドトールでのコーヒーの頼み方すら必死にググる始末だ。サイズを聞かれるのが怖い。S,M,Lで注文できない事に危機を感じている。

なんでもいいからM相当をくれよ

 

 

全然アイスティーで良かったし、サイズが想像より2倍デカい。店員さんがちょっと若めのお姉さんだったばかりに、勢いあまって飲めないブラックを頼んでしまう癖いい加減やめような。そこからテンパってサイズがあやふやになってしまうのも、普段イヤホンしてる時音楽に合わせて控えめに膝でドラムするのも、コンビニでお釣りをいつもしてますけど?みたいな顔で募金するのも全部やめて、スマートな大人になりたい。

 

 

 

 

 

今回あんまり期間もあけずに(あいてるかも?)ブログ更新しているのは決して暇だからではない。

最近はむしろ忙しいほうで、テンヤワンヤなのだ。お誘いあったら絶対行くけど、そう、、なんだかんだ、テンヤワンヤだ。

 

 

 

ともかく、前々回の「魅惑の街、ラスベガス①」を書いてから一年以上経ってしまっているのが問題なのだ。

 

内容があんまりまとまってなくて、調子乗って二部構成にしたもののサボっていたらいつの間にか1年経ってた。

 

マイペースで書いていけばいいのだが、二部構成にしたばっかりに続編を書かず放置して、ポスト冨樫先生みたいな雰囲気になっちゃてるんじゃないの?もしかして、休載に憧れちゃってる?みたいなそんな風に思われていたらと思うと恐怖で落ち着かなかった。

ハンターハンターが休載してもう2年経つらしいが、伏線はって回収して、読者に展開の推測や妄想をさせるような作品だからこそ休載が許されるのであって、こんな下品が近所の下品な友達の家でパーティしてるような記事は論外。パッパと書いて忘れてもらおう。そう思いたち、カフェにいます。

 

 

さて、前回の内容知らない方はブラウザの戻るボタンを押して①の内容を確認すればいいと思います。メリットはありません

 

 

 

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フーターズで敗北を経験した男たちからは熱気が立ち昇っていた。

 

“今宵ラスベガスをフ◯◯クしてアメリカンドリームを掴み取る“

そんな気持ちで向かったフーターズでボコボコにされた

 

正直、ハンバーガーを食べている時にはもう「ここにエロはないな」とそんな感じがしていた

確かに店員さんはエッチな格好をしていて、雰囲気も薄暗めだけどもしっかりしたアメリカンダイナーだ

俺たちは洋画を観すぎたせいで、毒されてしまったのかもしれない。冷静に考えたら、そんなどこにだってエロは安売りしてないじゃないか。

チップをおっぱいに挟んで会計するみたいな妄想だけがトップスピードで駆けていった

 

 

 

いや、危なかった。

 

「ねえコバ、カナダでは1ドルも2ドルも硬貨なのにアメリカでは1ドルから紙幣なのなんでだと思う?」

 

そんな質問をして「確かに!なんで?」と不思議そうにするコバに「チップをおっぱいに挟む為だよギャハハエヘヘッt」と小ボケを入れ2人で笑い合う算段をずっと考えていた。

しっかり机にチップ置いたし、本当に言わなくてよかった。

コバのテンションによっては「バカじゃないの」

と一蹴されてしまう可能性も十分あった

 

 

数ある欲望の中でそそくさエロを選択したにも関わらず、失敗。

しかし諦めちゃいけない。俺たちはセクシーパトロールするって決めたじゃんか♡

 

 

 

 

どういった経緯か忘れちゃったんだけどストリップショーに行く事になった。突然だし、ストレートな変態。

 

 

 

 

ストリップショー!?

よく分からないがなんて美しい単語なんだ!?

 

ストリップの“ショー”だって!?

つまりSHOWかい!?エロスのSHOWなんだよね!?

想像するに、エロさのカーストで言うと間違いなくフーターズより格上。え?どうしよう

 

おそらくこのラスベガスの中でイッチバンアッチいいショーなんじゃないか?

ショーということは、つ、つまりストリップな全てがふんだんに詰まった、目に入る全てがとにかくキラキラでぷあぷあでパンティーが飛び交う楽園系エロスなんじゃないか?

 

 

 

まて、まあ、落ち着けよコバ、チケットだ。とにかくチケットを手に入れよう。

バキバキの童貞ようなテンションでウェブサイトを睨みつけ、場所と開演時間を確認。

そう遠くない。ここから歩いても余裕で間に合う。現地でチケット購入できる。

 

追い求めていたエロスが手に入ると確信した時、安堵した。そして漸くエロスに手に届くと思うだけで、気持ちが昂る。足が早まる。

 

 

足の全ての筋繊維がステロイドでも打たれたかのように活性化し、ストリップショーに向かう目的のみを達成しようとしていた

 

砂漠に聳え立つ娯楽の街、ラスベガス。

そんな眠らない街の中、熱気を纏い、「早くエロが欲しい」と言わんばかりの早歩きで会場に向かう男たち。言うまでもなく、無言である。

すれ違う全ての哺乳類が生命の危機を感じたのは想像に難くない。

 

 

 

 

辿り着いたのは

ピラミッドのようなホテル

 

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チケットの購入はコバがしてくれた。

当日券なのでいい席は取れず、後ろの席で40ドルくらい?だったかな

ステージに近い席は70ドルとかなり高めに設定されていて間近でエロを拝める仕様。

 

しかし、なんせストリップショー初心者である我々にはそれで十分だった。

 

 

ショーの名前は「ファンタジー」というらしい

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なるほど、いいじゃん。

 

ファンタジー(英: fantasy [ˈfæntəsi, ˈfæntəzi][1])は、超自然的、幻想的、空想的な事象を、プロットの主要な要素、あるいは主題や設定に用いるフィクション作品のジャンルである。

 

詰まるところ、ファンタジーってディズニーやハリーポッターみたいな感じ?

超自然的で幻想的、空想的なエロが飛び交うってそういことだ。

そしたら座席が後ろの方でも、俺たちのミッキー⤴︎がエクスペクトパトローナムされる可能性も全然ある。

 

 

 

 

 

 

 

 

ショーはというと、凄くよかった♡

詳細は割愛する。とにかくパンティやあれこれを脱いだり履いたりで忙しそう。パンティ側も大変

だわな

 

 

少し浮ついた気持ちのまま、カジノに吸い込まれていった。

カジノはバンクーバーで何回かコバと行ったことがある為、後回しになっていたがラスベガスと言えば「カジノ」と真っ先に出てくる人も多いだろう。

代名詞と言っても過言ではない。やはり、盛り上がりを見せている。

 

その中でも、折角だしベラジオという1番有名なカジノに行く事にした

 

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ベラジオホテル&カジノの目の前には巨大な噴水があり、ズンズンと響くチャラい音楽とライトアップで派手さを見せる

 

 

「お互い400ドル位負けても思い出として笑って帰ろう」と約束し、ABCでビールを買って入店。

 

店内は流石No.1と思うような、何というかゴージャス☆だった。バンクーバーのカジノとは雰囲気がちょっと違くて、圧倒された。

雰囲気に負けじとビールを飲み、気持ち良くなったところでルーレットに着席。

 

 

 

 

ありもしないオカルトで盛り上がっていると

日本人の若い女の子2人組に声をかけられた

 

 

「旅行で来てて、上のホテルに泊まってるんですけど、カジノやり方わからないので教えてください♡」

 

 

え、、こ、これは!?

逆ナンってやつじゃない???そうだよね?いや初めてよ、人生で

 

見た感じそんなギャルギャルしてない子だった。ほう、、、ベガスのエロにのまれたな?

 

その二人の眼差しが、姿勢が、かつてストリップショーに向かっていたおれたちに酷似していた。

 

「まだエロなんぞ求めてるのかね」

 

 

 

 

 

 

 

当時、コバには彼女がいなかった。

この無法地帯と化したラスベガスで、ハメを外した女の子にナンパされる。しかもこのカジノの、あのベラージオホテルにお泊まりしてるですと?

 

 

 

神が狙い撃ちしたかのような幸運、、!!

 

そ、そんなの、、、、断る方、、、が、、、、野暮、、、、野暮、、、、ってもん、、、、じゃないですか!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いや、今おれら友達同士で楽しんでるんで、すいません」

 

 

 

 

 

コバは少し振り向いて、まるで雌猫を払うように言い放った。

 

 

 

 

 

 

 

カ、

 

 

 

カッケエエエ!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当時、ワタクシには彼女がいた。

ラスベガスで少しは浮かれるけど、そういうガチモンのエロがNGなのはコバも重々承知。

ストリップショーがキワキワの限界。いや、、アウトか笑

 

 

 

そんな私に気を遣ってくれたのか、メチャクチャな賢者タイムだったのかわからなかったが

コバは「せっかく2人で旅してるから2人で楽しみたい」的な事を言ってくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かッケエエエ!!

 

 

 

そんな風に優しくされる一方で、「ストリップショーに行った」という代償が、今頃になってワタクシに雷雨のように降り掛かかっていた。

 

 

 

 

彼氏がワケもわからん地でストリップショー行ってたら、そりゃあ誰だって怒る。

 

 

 

コバがインスタにあげた「セクシーパトロール♡」の写真は彼女の怒りを助長させ、ラスベガスで浮かれ狂う私に弁明の提示を求めた。

 

 

 

ここでワタクシが満を持して展開した圧倒的ロジックは地球上のメスというメスを震え上がらせたに違いない。

 

 

 

 

 

ストリップショーに行くことは本当に悪いことなんでしょうか?

 

 

 

 

動物園を思い浮かべてください。

そこに悠々と暮らす動物達は基本、裸です。時にはご飯を食べ、立ち上がり、ガムシャラに生にしがみついています。私たちは彼らが裸一本で勝負していることに気づき、感銘を受けます。しかも、彼らの中で誰一人として裸である、ネイキッドである事を恥ずかしく思うヤツはいないんです。なぜならプロだからです。ヒトはその堂々たる姿に感動し、また足を運びます

 

 

 

 

 

そう、ストリップショーだって同じ。彼女らは基本裸です。もちろん自身が裸であることに一切の恥じらいを感じていません。プロだからです。

誇りを持って職務を全うする彼女らを見て、涙を流します。

 

良いじゃないですか、ありのままを晒せば。そうやって体当たりしていく姿は、誰であっても無条件に美しいんです

そんなストリップショーが悪いはずがない。

 

 

以上の事柄をまとめると

動物園=ストリップショー=悪いことではない

という奇妙な数式が出来上がりました

 

 

非常に理にかなっている。素晴らしい文章だと思います。

しかし、自分で書いておきながら腑に落ちないポイントがあります。一部、ロジックが非常に脆弱な箇所がある

 

 

 

 

「ストリップショーは動物園なのでしょうか?」

 

 

ここです。

 

涙を流したとかくだらないことを羅列したせいで、なんか凄く失礼な事を言ってしまっている気がします。

 

しかしながら、ストリップショーが動物園であることさえ証明出来れば、「動物園に行くことは悪いことではないのだから、ストリップショーに行くのも当然悪くない」というロジックが強固なものになります。

 

 

では、動物園というのは、本当にストリップショーなのでしょうか?

 

上記の共通点で、動物園とストリップショーはかなり近い部類の娯楽施設だと想定することが可能です。カラオケよりも動物園の方がストリップショーに近いですし、遊園地よりもストリップショーの方が動物園です

 

 

では、その目的はどうでしょう?

 

ストリップショーは文句なしにエロを目的とした

娯楽施設であり、議論の余地はありません。

 

一方で、動物園はエロを目的とした施設なのでしょうか?

ストリップショー=エロい

動物園=エロい

という等式が成り立てば動物園=ストリップショーと置き換えることが可能です。

 

 

 

「動物園」と「エロ」という単語の並びを未だ見たことがない。

その二つの単語は関連性のない独立した単語と捉えてしまいそうです。

しかしながら、私観で関係のないものと断言するのは文章において非常に危険な行為です。

 

 

 

 

 

この点については、

動物園のwebページを隅々まで確認しましたが、エロいと断定できるような要素を手に入れることが出来ませんでした。

さらには、「動物園 エロ」とGoogleで検索し、さまざまな文献に目を通しましたが、動物園の目的がエロにあるという確証を得るに至りませんでした。

 

 

 

これに関しては、もう当事者に直接きいたほうが妥当性が高いと判断します。

 

 

 

 

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この後、相当しつこく、再三に渡って「動物園はエロなのか」を問いただしましたが、社会人時代に鋭く研磨されたヒアリングと傾聴をもってしてなお、動物園=エロいという確証を得る事は出来ませんでした。

 

 

 

 

「つまり、動物園はエロであるとは言いきれない」

 

 

したがって、動物園とストリップショーはあくまでも違う施設であり到底「動物園に行くことは悪いことではないのだから、ストリップショーに行くのも当然悪くない」とは言えません。

 

 

 

導かれるコンクルージョンは以下の通りになります。

「ストリップショーに行くことは悪いことです。なぜならば動物園がエロくないからです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

終始エロがどうとかで5600文字も書いてしまいました、

この男は一体何を伝えたいのでしょうか?

 

 

 

 

磯島