実家の猫

 

もう随分と昔の記憶。

 

ある雨の日、学校から帰ると庭に猫がいて、何やら与えられたミルクと食べ物を貪るように食べていた。それを嬉しそうに見る妹と母、大体、察しがついた。

 

私の実家は田舎の中でもおそらく上位に食い込む程、“田舎”であり、最寄りのコンビニや駅、スーパーなどは到底歩いて向かえる距離にない。近所にはワケのわからない地蔵、巨大な精米機、全く機能していないバス停、そして森がある。

見渡す限りの畑と田んぼ、野生のサルやイヌ、ネコなんかは日常に溶け込み、毎日のようにクマが出たと防災放送が流れる。夜になるとキジバトとカエルの鳴き声が心地よい、といったそういう“田舎”なのである。

 

なんでしょう、この田舎度合いを動物の名前の羅列でしか表現できないボキャ貧さにびっくりしてます。

 

 

 

 

 

 

 

 

まあおそらく、庭にきた野良猫に妹が餌を与えたのだろう。

 

 

 

 

 

これは田舎あるあるなのかもしれないが、庭に入ってきた野生動物や公民館にいる動物にエサを与える行為は、多くの場合、ご法度とされている。

理由は単純で、餌を求めて棲みついてしまう可能性が高いから、なのだ。ハトにエサをやらないで!と同じ原理だ

 

 

つまりは、庭に入ってきた猫にエサを与える行為それ自体にはソイツを「飼う」責任と覚悟が伴うということだ。

 

しかし、情を捨ててお腹が空いた野良猫を放置することの方が確かに難しい。

当時の妹にとっては、可愛いし、可哀想だから餌をやる。程度のことだったのだろうが、母は棲みつくことを懸念し「あんまりご飯あげすぎないでよ」と軽めに釘を刺した。 思いっきり棲みついた。

 

 

 

 

その猫は庭でも1番日の当たる場所で横になり

鋭い目つきで睨みを効かせていた。野良猫ということもあり、耳は喧嘩で欠けて、何より痩せこけていた。

 

 

完全に棲みついてしまった猫を、飼うのか飼わないのか家族で意見が割れた。というか、父親以外は賛成だった。

 

 

「ああ、、棲みついちゃったなら飼うしかない。」

「こんなに痩せちゃってる」

一糸纏わぬ母と妹にはそれを「飼う」選択しか見えていないらしい。


父親は猫を見るなり悲鳴を上げ、これに猛反対した。「そんなもん、うちで飼えるわけないだろ、家が毛だらけになってしまう」父は動物が苦手な訳ではない。むしろ昔から犬を飼っていたし、好きな方だろう。でも、猫アレルギーだった。早く。自然に返せ。外に出せ。家に上げるな!家が毛だらけになる!毛だらけになるだろ!毛だらけになったら、大変だろう!

大騒ぎしている

 

 

普段なら飼うことに反対する母は、諦めた様子で「もうこの猫を自然界の野生に返せない」「そんなことをしたら、野良猫界隈の生態系が崩れてしまう」的な事を言った。おそらくもうこの猫は人間界の味を知ってしまったみたいなニュアンスだっただろう

生態系が崩れたら、責任が取れない!

 

 

 

 

 

猫アレルギーだから嫌だ、という気持ちは分かるが、一方、野良猫界隈の生態系については一切意味が分からない。たかが野良猫1匹を飼いはじめたとこで、生態系が崩れるわけなくない?

森の番人か何かなんだろうか?

 

 

 

母が動物好きということは知っていたが、“野良猫界隈の生態系” に熱い女性だとは、さすがに知らなかった。私は小学生ながらに、母が自分以外のものに気をかけることができる余裕のある人なんだ、と納得した。

 

結果的に、彼女たちの意見は父の猫アレルギーという切り札を粉砕し、猫はうちで飼育されることになった。

 

 

ていうか、猫アレルギーの家族をお構いなしに同じ屋根の下で猫飼い始めた。という出来事そのものが不思議だが、親父が猫アレルギーというのはみんな初耳だったし、信じていなかったのかもしれない。今思えば、父の主張が尊重されることなど滅多になかったようにすら感じる。

 

 

 

名前は妹が決めた。毛模様がチーターに似ていることから「チーター」と命名された。安直すぎる。

 

 

チーターはその名前に恥じぬ獰猛さを持ち合わせていた。最初の頃は人間を警戒し、懐いているのか懐いていないのか全くわからなかった。

ご飯食べている時、顎を撫でられている時は低い音でグルッルルッルウ↑と鳴くが、抱っこしたりお腹を触る人間に対しては一切容赦しない。「人間ごときが俺に触れるんじゃねえ」そんな勢いで爪を振り下ろし、肉を切り裂く。骨も断つ。あとすごく嫌な顔をする。

 

 

 

甘えたり、猫用のおもちゃで遊ぶことはあまりなかった。いつもソファの上にちょこんと座り、全てに無関心を決め込んでいた

それはクールなイケメンだった。私は、男として尊敬の念すら覚えた。

 

嫌なことにはハッキリ嫌と言い、鋭い目でこの世の理を否定する。決して自身のスタンスを崩さない。時折、目を瞑って精神統一する姿はどこか物々しく、渋さすらも感じさせる。

「プライド」だとか「他人からの評価」などという下等な”飾り“に左右されることなく、

「好きにすれば良い」みたいな、涼しい顔をしていた。

 

 

 

 

出会ってすぐだったが、私はもうこの漢(オス)に

魅入っていた。勝手にリスペクトしこんな男になりてえとまで思った。そうだ、“チーターさん”。“チーター兄貴”とそう呼ばせていただこう。 雌(メス)だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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チーターは「雌」だったのだ。

 

 

 

 

 

 

イケメン、カッコいい、いぶし銀だ、今日も佇まいが渋い、とその男気を祭り上げてきたチーターが、女性だった。

 

 

世界を見下し、骨も肉も断つクールな女性。

つまり天海祐希ってこと?そう、女王の教室の、それだ。

 

チーター」という名前、このクールな態度、思想は男性のそれだろう、漢の思想だ。という謎の先入観による痛恨のミス。

 

 

 

 

不躾な私を見て、チーター姉貴は眉ひとつ動かさず少しこちらを見て、静かに目を閉じた。

コイツはもうダメだ。と思ったのだろう。

懐の深い猫でよかった。場合によっては腕の一本ぐらい持っていかれてた可能性も十分ある。

 

 

 

 

 

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動物の感情や、何を考えてるかを想像することは大抵、「人間に当てはめたら」という大前提で行われてる。

 

 

コチラ側が与えた影響に対して、動物の反応までコチラ側の視点で物を言うニンゲンのスタイルほど暴力的なものはない。

 

いやわかるよ、仮に、めちゃくちゃ人間の言葉喋れる猫がいて、ソイツが「ねこのきもち」の編集担当、監修を行っていて、大多数の猫が「わかるわぁ」というなら頷ける。

「あ〜その猫の反応はねえ、眠い時のやつ」「その鳴き声のトーンはご飯欲しい時」「わあ嬉しがってる」

 

 

勝手に動物はこうだと想定し、勝手に統計でこうだったと結論し、そして勝手に好きになったり嫌いになったりすることが出来る。いつだって一部しか見てない。

 

人間でさえ文化や地域の違いで感情や仕草、行動にめちゃくちゃ違いがあるのに、動物同士の関係性、ましてや猫文化なんて私たちには計り知れない異次元なものじゃないすか。一辺倒に「猫がこうしたらこう思ってる」みたいな憶測ってどうなんでしょうね。

 

チーターはただそこにチョコんと座って一貫して目を瞑っているわけだが、その間、何を考えているのかは相変わらず一切分からない。人間をぶっ殺そうと計画しているのか、今日はさみいから早く寝るべなのか、技術力のある企業に投資してえなのか。でも自分は自分の中で勝手に作り出した猫の偶像と対話し、勝手に、猫と何かが分かり合えたような錯覚を起こすんです、身勝手だなと思います

 

 

 

 

 

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私は、中学生になった。

チーターは相変わらずソファの上に体を丸めるが、少し食べ過ぎなのか貫禄が出てきた。

父親も慣れたのか時折舌を鳴らして猫を呼んだりしていた。

 

ある冬の日、私は父に強請ってスピーカー機能が付いたエナメル生地のバッグを貰った。肩から下げるタイプで、ラジオコンポのイラストがどデカく描かれている。というか、ラジオコンポに模したバッグで、ソイツから音楽が再生できるのだ。

 

今想像するだけでも、鳥肌が止まらない神がかった厨二アイテムだが、私は当時、コイツで朝、大音量でSUM41を流しながら登校したら最高にカッケエじゃん。と思った。

 

 

 

 

当時の私は別にオシャレにも興味はなく、髪型だってセットしたこともない。女の子とまともに喋ったこともない、しがない童貞だった。

中学生だったこともあって、もちろん周りには童貞しかいないわけだが、モテるやつには際立った共通点があった。

 

モテるやつは余すことなく、ワルだった。大抵のワルには不思議と彼女がいたし、ワルはクラスの中心にいて、いつだって意見が通った。そして、ワルはなぜか女の子と自然に会話ができるのだ。

 

 

 

私はこのスピーカー機能がついたバッグで最高にカッコつけて、ワルの仲間入りを目論んだ。

 

当然、公立中学だったのでスピーカー機能がついたバッグなんて余裕で不要物扱いで、先生に取り上げられるだろう。しかし、バッグで最高にカッコつけた後、先生に見つかって取り上げられる。というのはむしろ、おれのワルが初めて露呈するパフォーマンスになり得る。「普段はあんな感じなのに、、意外とワルじゃん、、、、トゥンク////:」

俺の作戦は完璧だった。

 

 

前日、セブンでギャッツビーのワックスを購入した。もちろん明日を最高のパフォーマンスで臨むためである。ピンクの容器で500円玉くらいのサイズのやつだ。なるほど。これが一回分か。

 

家に着くやいなやワックスとスプレーを取り出し、そそくさと鏡の前に移動した。セットの仕方なんてものは知らなかった。あれじゃない、こうじゃないと試行錯誤した結果、髪をこれでもかと言う程に天空めがけてゴリゴリに持ち上げ、ワックスでゴリゴリに固めてから、スプレーでゴリゴリに固めた。明らかにワックスをつけ過ぎて毛束に光沢が走っていたが、おれにはワックスをつけた髪の普通が、スタンダードがどうなのかわからなかった。どこに着地していいのか。わからないからとりあえず天を目指した。

殆どウニとしか表現のしようが無い自らの頭髪を見て一人、心地良い満足感を覚えた。完璧だ。

これで明日朝学校に行く前に髪型に悩まなくて済む。

人事を尽くして天命を待つ。それだけだ。俺は徹底した

 

 

事件は教科書をラジオコンポバッグに移そうとした時に起こった。

時間割を確認し、明日の教科書を入れようとバッグを手に持った時、何も入ってないはずのバッグに少し重みを感じた。

 

雷に脳天ぶち抜かれた衝撃だった、中にはでかいモグラの死体があった。

「ウワッッ!!え!?、、、なに、、臭ッ!!ネズミ、、?モグラァ!!!!」

 

 

血と土が混ざったものが中で散乱し、何より臭え。

 

確実にチーターの仕業だった。所謂お裾分けみたいなやつだ。時折、チーターは庭からネズミやスズメ、モグラを捕まえて家に持ってくる。そして食べるわけでもなく置いておくのだ。

 

急いでバッグを逆さにしてモグラを処理したが、血と土でベトベトになっている。中にはスピーカー用の機材が露出してて水洗いが不可能だった。かと言ってウェットティッシュでゴシゴシ綺麗にする勇気は無かった。

 

 

おれの計画は無惨にも散っていった。天に向かって伸びた黒いモダンアートがメシメシと音をたて崩壊した。

 

 

 

 

チーターが何を考えているかはやっぱりわからない。

たまたま、ちょうどいいバッグがあったからそこにモグラ入れたのか、おれの頭から伸びるアートやしようとしているダサい行為に気づいて止めてくれたのか。

 

 

、、、、、

 

 

 

 

 

 

大学生になって実家を飛び出し、いつしか社会人になった。家族のグループLINEが動いて、母からチーターが亡くなって庭で荼毘に伏せたと知らせを受けた。

いつもの場所で老衰で逝けたとのことで幸せだったろう。

 

 

人間に真意はやっぱりわからないが、あの時、我を忘れた童貞の奇行を止めてくれてた彼女にありがとう、と伝えたい。

 

 

 

 

 

 

磯島