「蒼天の拳」が「優れた自己啓発本」であることを証明させていただきたい

 

 

皆さんは蒼天の拳という漫画をご存知だろうか。

人情暑きストーリー、宿命に生きし男の拳で語り合う決闘を描いた男達の聖書である。

 

 

男達の聖書と記述したが年齢層は幅広く、

生まれながらの武闘家であれば女子高生からお爺さん、育児ママでも楽しめるストーリーとなっている。

「いや私は全然武闘家じゃないし」とか思ってしまったあなた、ちょっと待ってほしい

 

そもそも私が言う、いやこの聖書がいう「武闘家」とは拳やボディの強さ、その真髄を極めんとするものではない。ご察しの通り「心」の強さである

 

女子高生も流行という荒波に飲まれつつも乗りこなさなければいけない、それでも個々のアイデンティティも確立させたいと必死に波に抵抗する一種の「武闘家」

 

また、言うまでもないが主婦は子供と、サラリーマンは会社や上司と闘う武闘家である。

 

だから何かしらと闘うあなたも「武闘家」だよなってそういう前提で話進めていきます

 

 

そんな私たち武闘家にとって蒼天の拳とは

優れた自己啓発本なのだ。「お金のたまるびっくり生活法」やら「ビジネスの必勝法」「恋空」だのもう活字の時代は終わった、、、

これからは蒼天の拳を読んで

拳で語り合おう

 

 

そんな蒼天の拳の魅力を名言とともに紹介させていただく

 

 

 

そもそも蒼天の拳ってもうタイトルから男臭さ全開だし、蒼天ってなんやねんボケェってなる不届き者も読者様の中にはいらっしゃると思います。

 

しかし、ここで蒼天に特に意味がないことをはっきり告げておきます。主人公の霞拳士郎が蒼天のような心意気だった的な意味合いだと思います。

 

そんなものより重要なのは拳。

最近の漫画ではやれ螺旋丸やら千鳥やら

卍解だのギアサードなどとオシャレな技を用いてそれ相応の敵を倒すストーリーばかりだと聞きます

 

でも蒼天の拳は違うんです。

一巻から最終巻まで全て拳で戦い、修行や何やらも一切無し。そのまま生まれついたポテンシャルで、敵もギリギリ勝てないポテンシャルで戦いを挑んできます。

どうでしょうか全然読みたくなくなったでしょう。でも待ってくださいアツイのはこれからなんです。

 

 

こんなこと言ってますが

 

私自身NARUTO大好きですし

なんならこの記事のNARUTOバージョンかけるくらい愛が深いです。ボルトも最新刊まで読んでます。ヤバイでしょ。BLEACHも全部読みましたワンピースはあんま読んでませんすいません

 

 

 

 

すいません脱線しましたが魅力語って生きたいと思います

 

 

 

 

 

 

 

まずはこのシーン

 

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「ごくろうさん、よくそこまできたね」

 

みなさんは指ポキポキしながら「ごくろうさん」と言ったことがありますでしょうか?

 

ごくろうさんってそもそも苦労をねぎらう言葉であってこれから殴る相手に、ましてや敵に遣うものではありません

 

この言葉は北斗孫家拳の最強の男・霊王との闘いのシーンで放たれる。

 

霊王は病気と闘いながらその狂気を高めるため、アヘンにまで手を出し延命する。拳士郎を倒そうと技を磨きやっとの思いで対峙した時に

放たれた無慈悲な一撃。

「ごくろうさん、よくそこまできたね」

 

 

この言葉の意味合いを説明するまでもない、

武闘家に対しての愚弄に過ぎない舐め腐った発言、、、、、、、

 

 

 

これが蒼天の拳の魅力の一つでもあります。

 

 

 

先ほどのシーンはほんの一部分に過ぎません

作中にこれでもかというほど舐めた演出が出てきます。

その中でも好きなのがコチラ

 

 

 

 

 

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画質は荒いのはご了承ください

 

コチラは親友の妹を殺した宿敵・北斗曹家拳の張太炎との戦いで激しく拳を撃ち合っている1コマ

 

お気づきだろうか、、

 

 

主人公の拳士郎は激しい撃ち合いの最中でも

女をその胸に抱きながら戦っています

 

とてつもない自信と余裕。

その2つこそが真の強さであると教えてくれています。

 

 

さらには「遅い遅い(拳が)、遅くて眠くなるぜ」の一言。

終いには「寝ていーい?」と形容できないほどの煽り方。かっこよすぎる。

 

 

普通、拳のスピードが遅くて眠くなることなんて現実ではあり得ない、と私も読者様も思います。なぜかと言うとそもそもの「スピード」という概念が拳士郎と私達ハンパ者では異なるからです。

 

私達は幼少の頃に

有名なあのウサギとカメのレースで「スピード」とはなんたるか、その概念を植え付けられてしまっています。

 

カメは「遅い」ウサギは「速い」そんな認識では一生 拳のスピードを「遅い」と言い表すことはできないでしょう。

なんと愚かな教育だろうか、、、、

 

 

 

安心してください。

 

 

 

 

 

作中での「速さ」は9割程度 拳で表現されます

「コイツッ速いッ」だとか「遅いッ」などと言うセリフは大体 拳の事です

 

 

読み進めていくとだんだん「あれ、速さって何だっけ」という一つの疑問が無意識に生まれ、

読破する頃にはあなたにとって速さの概念は「拳のスピード」でしか測れなくなっている事でしょう

 

 

 

そのうち「新幹線のスピード?大体俺の拳の1/5676位かな」などと言い出します

 

もうここまできたらカメを「遅い」と表現できなくなっています。あなたにとってカメは「動かない生物」でしかないからです

 

 

 

ハイ、次はコチラ

 

 

 

 

 

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「朋友」

 

ポンヨウと読みます

作中で何度も出てくる最重要キーワードです

 

 

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とまあこんな感じで最初から最後まで朋友出てきます

 

作中の意味合い的には親友なのですが

中国の辞書では「知り合い程度の友達」だそうです余談ですが。

 

 

この朋友という言葉が使われるシーンはすべからく感動します。

 

2つ目の画像にもありますが、主人公の拳士郎は義理人情をメチャメチャ大切にします

朋友のために戦ったり泣いたり、敵が戦って初めて朋友になったり、そういうとこは王道っぽくて読みやすいとこだと思います大好きです

 

 

 

 

次はコチラ

 

 

 

 

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二千年前の恨みを晴らそうと復讐に燃える男・ヤサカと拳士郎の朋友との戦闘シーン

 

コレ、、ヤサカの相雷拳という必殺技で腕が消えることによって間合いが読めないとされているパンチ。

 

見事に間合いが読めず、ヒットしてしまうんですが、

消えるって言っても背中の後ろに手まわしてるだけだったんです。

流石に思いましたよ、コイツ恥ずかしくねえのかと。二千年も前からやって来て秘奥義見せてやるとか吠えといてパンチ出したんですから。しかも、なんの工夫もない無添加パンチ。

相雷拳とかカッケエ名前なんだからチャクラだったり念能力だったりなんか使えよって

 

 

 

まあ結局メチャメチャ強いんですけどねそのパンチ。

 

余計なものはいらない。二千年前にはそんなものなかった、無添加こそ正義だ。そういう意図が伝わってきます。

 

 

 

 

 

 

 

まだまだ名言とか色々あるけどこの記事を読んで、これから蒼天読む!って人いたらネタバレになりかねないので(いないと思うけど)また次回にしておきます

 

 

 

この記事読み返してみるとキメエな自分何言ってるかわかんねえし、

 

 

どうでしょうか私のアツイ話聞いて読みたくなったでしょうか自己啓発できそうでしょうか、、まあ仲間の大切さ、無添加いいなとか思ってくれたら幸いです

 

 

 

 

磯島