こんばんは、ワタクシ実は昔から自身の健康状態に一定の自信があり、あまり大きな病気にかかったことがない。
風邪なんかは大抵一日寝れば治るし、仕事行きたくない日もなかなか熱が出てくれない。
中学生、高校生の時に患った恋の病だって、いつのまにか綺麗さっぱりどっかへ飛んでいってしまった。
その代わり、落ち着きのない性格は治る気配がなく、子供の頃はよく骨折した。
健康への自信からくる慢心だろう。そんなワタクシは小学生の頃とりわけ己の視力に自信を持っていた。いや、偶然、持つことになった。
別に特段何か努力したわけではない、ていうか視力のプレゼンスは努力のしようがなくない?
当時小学生だった私は努力して得た「何か」
を持っているわけでもなく、習い事だってしてない、ただ帰り道にピンポンダッシュする普通の男の子だった。
視力検査において、ある程度の大きさのCは普通に見える。しかしその後に出題されるcたちは正直あまりみえていない。時折先生の反応を見ながらCの穴の空いている方向を右手で指差し、エスパーを発揮する。みんなが苦し紛れにやってるアレだ。もちろん勘だった。
忘れもしない、あれは凄く寒い日の視力検査だった。雪が朝から降り続け、一向に止む気配のないそんな日だった。
出席番号が1番だった私の視力検査は、後ろで控えるクラスメイトの注目を必然的に集めていた。
目は悪い方ではない。てか小学生は大体目がいい。それでもこの日の視力検査は何か、何かおかしかった。
当たる。当たりまくる。先生は別に都度正解とか不正解とか言ってくれるわけではない。しかし、感覚でわかる。その反応、その目付き、どんどん小さくなっていくc達が、正しいダイレクションであると伝えてくれる。ざわめく会場、少し体を斜めにしてカッコつけるおれ、とんでもないエスパーでcの穴を言い当て続けた。ポッケに手でも突っ込んでやりたい気分だった。
保健室で起こった小さなミラクルはおれをトップオブ・眼力へ導き、脅威の両目2.0をマーク。
先生が静かにしなさいと一喝入れて、おれはクールに教室に戻っていった。カツカツとわざと音を立てるように階段を駆け上がり、乱暴に椅子を引いて、ズシンと腰をかける。「フゥーーー、、、」常人を余裕で置き去りにしていた。
高鳴る胸を抑え冷静に状況を分析。
直接見えたワケではない、、、なんだったんだ今の、、今、、目以外の何かで「見えた」、、、
心、、、「心で見た」んじゃないか、、??
これが心眼、、
「君たちはまだ『目』でみてるのかね」
視力検査で心眼を使用したという事実は、ワタシに最上の満足感を醸成し、ピンポンダッシュしか取り柄のない童貞をつけあがらせた。
だが実際のところ本人はわかっていた
誰も競っていない「視力」というフィールドにわざわざ生命を与え、そこで勝手にトップに君臨している。視力なんてもんを取り柄にして自我を保っていても虚しいだけ。それでも、それだけ、、、それしかなかったのだ。
皆んなが大好きだった昼休みのサッカーがあまり得意じゃなかったし、50メートル走もクラスのデブと同じ9秒後半だった。
「頭が良くてスポーツができる」というのは小学校においてモテる最大の要素であるが、残念なことに両方当てはまってはいない。
ワタシの目立ちたがりな性格はどうにか食らいつこうと、全裸に「視力」という一張羅だけ羽織って少年野球の男子達、サッカークラブチームの男子達、詰まるところ一軍男子に一矢報いようと試みたのだ。
教室に戻ったおれの机の周りを、昼休みに男子大勢が集まってチヤホヤしていた。雪のせいで外で遊べない分、たくさんの人がいた。
初めての経験だった。クラスの人気者というのはこんなにも満足感の高い環境に身を置きながら義務教育を享受していたのか。何もかもが美しく見えた。周りもよく見える。みんながおれの話をしている。
おれは視力がどうとか、心眼がどうとかもうそんなことは忘れて、ただこの幸せが継続することだけを望んでいた。
机の周りで盛り上がりまくった男子の話は、ワタシが目が良すぎて「廊下の端から反対側の端の防火扉の注意書きが読める」から「あの子のパンツが透けて視える」まで話がブッ飛び、最終的に
「磯島は視力が良すぎて未来まで視えている」みたいな話にまで飛躍した。馬鹿か
もうそれ目が良すぎてどうこうって話じゃねえだろ、、、SFが過ぎる。
大勢というパワーに、押し倒されるかのように話に歯止めが効かなくなっていた。
変な盛り上がりによって人外のパワーを要求されたワタシは、少し得意げな感じで外を指差し「この雪、もう止むね」と言ってみせた。オヒレがつきまくった話に不安がありながらもがっかりされるのが怖かった。
もう視力とか全然関係ないし、めちゃくちゃ見えてたとしても無理ある。防火扉やパンツのくだりで適当にあしらって終わればよかった。やや投げやりになっていた
止んだ。雪が、ピタリと
朝からあんだけ降って、もう今日は止まないって言ってた雪がまさかのタイミングで止んだ
そりゃあ降っている雪はいつか止む。ちょっと待ってくれ、今すぐじゃない。
ウワアアとはしゃぐ男子の中心で、1番びっくりして動揺する童貞エスパー。変な汗が大量に出てすごく寒かったことを今でも覚えている。
もうその先の展開は読めていた。
あれやこれや未来を占う事をいろんなやつから要求され、その度におれは「今日はもうパワーを使い切っちゃった」と言って逃げる。
ただがっかりされるのが怖くて、いつまでも「超人的視力」にまで飛躍したダウンジャケットを脱げないのだろうな。
おれはいつしか社会人になった。
今年転職も経験した。前の会社の健康診断で発覚したのだが、視力はだいぶ劣化していた。もう、あの頃の純粋さも失って、ギリギリ見えないCも勘で当てるようなこともしなくなってしまった。間違えて、少しでも視力を背伸びしようとしてると思われるのが恐ろしいからである。
「すいません、ちょっと見えません」
おれの両目はメガネしないと運転してはいけない領域にまで落ちぶれた。
コンタクトはなんか怖かったし、費用もかかると聞いていたので初めてzoffに行ってメガネを探した。本当に顔によって似合うメガネ、似合わないメガネがあるなあとわかるものの、自分に似合うメガネは何一つわからない。不思議だ。ソワソワしながら同じメガネを何度もかけるワタシを見て、店員さんが声をかけてくれた。コイツほっといたら退勤できねえと思ったのだろうか、一言目が「それより、こっちの方が似合いますよ」だった。話が早えな。上等だ。
髭面の、若いイケメンで黒縁メガネをかけていた、似合っている。そして、服もなんかすごくオシャレだ。恐らくいい匂いもしただろう。一瞬にして絶大な信頼をこのニイチャンにおき、話しかけれれて20秒もたたぬうちにフレームが決定した。
鏡を見てもいまいちピンときてはいないが、なすがままにレジへ誘導され、容易く財布から一万円札が出て、会計が済んだ。
似合ってるかどうかは別にして、外に出て驚いた。「視える」のだ。全てが。
あれもこれも視える。ぼやけてた遠くの人の顔も、標識や看板なんかもよく視える。満足だった。
よく聞く言葉だが、これまでどれだけ視えてなかったのかわかる。まさにその通りだった。
ずっとメガネをかけていると、外した時の無能感で不安になったりもする。ちょっとだけど、見えないって怖いなって思う。
今ならアレができる気がする。
あのキングダムの敵軍の動きを大将に伝えにくる役目の人。
「前方に敵軍!!その数、20,000!!」
キングダムは中華という広大な領土を舞台に、人の皮をかぶったマッチョ達が狂喜乱舞している漫画です。面白いです。
あの人達の視力は一体、どうなってるのかね
何里先かもわからない人の数を一瞬にしてカリキュレートし馬を走らせ報告にくる。人外の視力。
しかし今ならわかる。メガネだ。zoffで髭面のイケメンからメガネ購入していたに違いない。あの頃の中華にもzoffがあったという事だ。
紀元前といえども目の悪い人は当然いただろうし、目見えなくて敵か味方もわからない状態のマッチョが剣だの槍だの振り回してたらシンプルに迷惑である。
偶然周りに居合わせた味方の「アンラッキー」たるや、そのまま殺されたのだとすれば御親族の皆様は悔やんでも悔やみきれないだろう
そして、仮にそんな目の悪いマッチョが何十人もいたのだとすれば、もはやそれは戦争どころではないのだ。
両軍の力を合わせて、まずは、戦場にいる「目の悪いマッチョ」の鎮圧をはかった方が良い。戦争はその後だ
つまり、秦の時代の中華にもzoffがあった。
なかったとしてもメガネ市場くらいはあったはず。
あれ、何の話だっけ?
あの雪の視力検査から20年くらい経つ。
いつワタシは「視力」という一張羅を脱いで、何を誇りにして何年も生きてこれたのか。
メガネを外した時、見えないという異常な不安が、あの頃の何かに縋りたい、何か取り柄にしたい気持ちを思い出させる。
メガネによって視力を取り戻した今、また雪が降ったら声を大にして大勢の前で言ってしまいそうだ、
「この雪、もう止むね」
そんで、止まないのがいいな
磯島