こんにちは。
随分昔に書いた記事で、お蔵入りになったものを
暇の権化であるワタクシがちょっと書き足して公開しようとしています。
昼間、一人でコードギアス見ながら酒を嗜み、酔っ払った勢いです。粗末な文ですがご容赦下さい。
あ、ネタバレ含みます。ご注意を!
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最近はブログ以外で色々書くことが多く、こんなもののために2000〜3000字書く余裕がなかった。
ブログの内容的に、一度NARUTOを読んだことがある人向けになってしまいました。
NARUTOを一度読むことはとても素晴らしいことだが、この記事を読む前にわざわざ読む必要はない。そしてこの記事を読んでも、「NARUTOが読みてえ」とはならないだろう。
終始、何言ってんだコイツ感が尋常じゃない。コイツは何をそんなにも興奮して、書いているんだ、、、コイツは一体なんなんだよ、、、、
もうタイトル通りで、それ以外に伝えたいことはありません。もう何度漫画を読み返し、アニメを見返したことか分からない。数ある少年マンガの中から、今回、NARUTOを選んだのはNARUTOが最強にして最高、つまるところ人類のバイブルだからだ。
NARUTOという書物が日本の数ある著作の中でもぶっちぎりで崇高な作品であり、それがどんなに分厚い書物よりも含蓄の詰まった奇跡のマスターピースであることに関しては、もはや議論の余地はない。これ程までに人間としての生き方を伝えてくれるバイブル(聖書)は、およそ他に見当たらない。
最初の頃は厨二病を拗らせたサスケが個人的に好きなキャラクターだった。喋らずただ顎の前で腕を組み、口を開けば「復讐」「あの男」「一族」「殺す」だのと全体的に尖っていたサスケは当時の私にブッ刺さった。
2周3周と読み返すうちにやっぱりイタチが好きになり、紅先生がお気に入りになってから圧倒的に可愛いリンになり、その後クシナの包容力と優しさに度肝を抜かれてから、エビス先生やイズモやコテツ、ザクアブミに注目する時代を経て、近年、とうとう、巡り巡ってサスケに辿り着いた。
NARUTOで好きなキャラは?と聞かれた時に「サスケ」や「ナルト」と答えるのは、好きなバンドは何ですかと聞かれて「ワンオクです」と答えるのに似た何とも言えない恥ずかしさがある。どこかミーハーではない自分をアピールしたくて、たまらないのだ。
「いや、ワンオクは別にカッコいいし最高のバンドだよ、おれも高一までめっちゃ聞いてた」
みたいな
良いよ、良いけどもう聴いてない。ワンオクは卒業しました。みたいなアピールが逆にダサい。みんなの中にもいるんじゃないですか?ダセエ自分。全部それぞれの良さがあるじゃない
※ワンオクは素晴らしいバンドです。
もはや20周近く回って、本気出せばいつか螺旋丸くらいは出せるとマジで思ってる自分にとってみれば、その質問に対して知った顔をしながら「鬼童丸」と答えるやつの方が、むしろ恥ずかしい。もう、サスケで良くない?
思えばゲームキューブで初めて買ったゲームがNARUTO激闘忍者大戦4だった。
その頃私といえば、田舎の小学生でスピードメーターが付いた青のチャリで下り坂を爆走し、時速40キロを超え、車を追い越していた。
激闘忍者対戦という格ゲーの登場は、チャリのスピードでしかお互いにマウントを取り合えなかった少年たちにとって革新的な出来事だった。
当時、「ロックリー」「九尾ナルト」「呪印状態2サスケ」が群を抜いて強く、特にロックリーの裏蓮華は到底人間が目視で追えるようなスピードではなく、不可避のミサイルと化していた。
もちろん全員、ロックリーを選択する為「どちらが先に裏蓮華を叩き込むか」の闘いになり、コンボや代わり身などもうどうでもよかった。
しかし、相手の「裏蓮華」に対して「裏蓮華」で返すと後者の裏蓮華が必ずヒットするという事実が露呈すると「どちらが裏蓮華を我慢できるか」という居合い斬りさながらのゲームに発展してしまい、激闘忍者対戦は舞台から降りることとなった。
私のNARUTOの視聴方法はというと、好きなシーンを選択し、そのシーンを最高の状態で迎えるために10話〜15話ほど遡って観る。いわば「助走」を取り入れるのである。
例えば、綱手捜索編 第九十四話 くらえ!怒りの螺旋丸の「俺は火影になるまでぜってえ死なねえからよ!」のシーンが観たいなと思ったら 第八十四話 唸れ千鳥吠えろサスケ!から見直すのだ。そこまでのストーリーにどっぷり浸かり、登場人物全てにどっぷり感情移入する。賭博屋のオッサンや、水風船屋台のオッサンにも余すことなく。全てを背負って好きなシーンを迎える。
ナワキとダンをナルトに重ねて首飾りを賭けるとこでひとまず泣き、「火影は俺の夢だから」のセリフがナワキとダンと重なって聞こえる演出で泣き、
「俺は火影になるまでぜってえ死なねえからよ!」
........
ハッt!!!!!!!!ソイヤ!!!!!
テ〜ェエエ↑テレレレ〜エエエ↑
の和太鼓と三味線のあの挿入歌でブッッッッ跳ぶのである。その頃には酒も回っている状態で涎を垂らし、ハッ!!!!に合わせて号泣し、痙攣するのがルーティンとなりつつある。
もうこの時点でおおよそ「アニメを見る人間」の姿からかけ離れている。
もうこの和太鼓聴きたいためだけにNARUTO見てるまである。Japanese kakkoiiの全てが詰まった曲だと勝手に思ってます
これ共感する人結構いるんじゃないかな?
さて、本題の「NARUTOが最高過ぎる」という点については、
魅力的なキャラクターに加えて、巧妙なストーリー構成、読者に予想させるワクワクする伏線、など最高なポイントはたくさんある。
そもそもNARUTOのメインテーマは「戦争による報復の連鎖をどうするか」という、かなり少年マンガらしからぬ設定が組み込まれている。
第三次忍界対戦後がメインストーリーなので、大袈裟に言って登場人物の5割は「もう死んでる人間」である。しかし登場人物の設定がしっかりしているお陰で、作中一回しか登場してないシスイに加えてカガミ、トリフでさえ人気の高いキャラクターだ。
単行本が発行されていた2014年までは、殆ど自分はNARUTOを読む為、その為だけに生きているのであり、仕事や恋愛、学業といったその他諸々の活動は、「NARUTOの新刊が出るまでの暇つぶし」という立て付けだった。
今でも覚えてるが、NARUTOの最終回のジャンプの表紙はなぜか暗殺教室の殺せんせーが一面を飾っており、マジで刷り直して欲しくて買わなかった。あんなに最終回まで後2号!とか煽っておいて、、、、殺せんせー???え!?!
みんなにも買わないで欲しかった。刷り直せよ!!!刷り直してくれえ、、、
その後のNARUTO完結記念で六本木で行われたNARUTO展に足を運び、色褪せない最高の思い出と共にNARUTO人生を終わらせた。岸本先生の次回作まで暇つぶしが始まるのだ。
長い月日を経て、やっと始まった次回作サムライ8。個人的にストーリーよかったけど打ち切り。
「BORUTO」はちょっと子供向けに作られてる感じがキツいし、、、、悔しいよ、、、、
個人的に好きなNARUTOの演出の話をしよう
本当に1番を選ぶことはできないが、マンガもアニメも両方最高の演出だった、仮面が割れてトビの正体が結局オビトだったとわかるシーン。マンガだと63巻、アニメは598話。
これまでトビの正体について、マダラなのか、オビトなのかという議論でさまざまな憶測が飛び交っていた。
-右目が写輪眼で左目隠してる→オビトやないかい
-写輪眼あるけど能力が神威じゃない→ほなオビトちゃうか
-小南戦での髪型がオビト→ほなオビトやないかい
-オビトは岩の下敷きになって死んでる→ほなオビトちゃうか
-すり抜け能力が神威と同じ時空間に繋がる→ほなオビトやないか
-隠されてた片目が輪廻眼→ほなオビトちゃうか
-万華鏡写輪眼の模様がカカシと一緒→ほなオビトやないか
思いつく限りでこの量である。実際はもっとしつこいミルクボーイを披露し読者を沸かせたものだ。
アニメだとそのややこしさは熾烈を極め、初期のトビはゼツと声優が一緒、それ以降はマダラと声優が一緒、仮面が割れてようやくオビトの声になるのだ。ややこし、、、、もうそれじゃわかりませんやん
漫画版だと、ナルトがお前は誰だァと叫びながら螺旋丸で仮面を割った直後に598話が終了し、599話のタイトルがうちはオビト!!になって、いきなりオビトの回想シーンが始まるのである。マジで最高に痺れる。
アニメではカカシとオビト、さらには2人の写輪眼、オビトとナルト、が見事な対比表現で描かれてる。あれ作画した人、お礼が言いたい。サンキューな。
オビトじゃなくてオビトの写輪眼が奪われてると信じてた人にとって、落雷を受けたような衝撃だっただろう。回想シーンもオビトが岩の下敷きになった後、誰がもう片方の写輪眼を奪ったのかという視点で見てた人もいれば、なんでオビトが闇堕ちしたのかという視点の両方で観れる内容になっていて、、、、、もう、、、、、ほら、、、、んーーーーーーーーん♡最高♡
最後、終末の谷の柱間像とマダラ像の印が崩れて和解の印になるとこも、全然言ってくれなかった「ウスラトンカチ」を最後に言ってくれるところも、最終話にサスケのナレーションで終わるのも全てスゲエ。岸本しぇんしぇええええ
さて、ここまで書いたところで、自分がNARUTOの細かい知識をひけらかす、ちゃんとしたキモ男になっていることがわかりましたので、やめたいと思います。
磯島